面白い映画教えます

第二の指令「泣ける恋愛映画の名作・傑作を探せ」
(2004/1/15)

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目次
オイカワ&bellbellのベスト10
これはもう単に傑作…「浮雲」
ベストカップル賞はこの2人…「モンパルナスの灯」
泣きのツボにもろストライクな話…「追憶」
ちょっと寄り道…ヒッチコック「ロープ」は傑作か?
理屈じゃなくてそうせざるを得ないのが恋愛…「めまい」
正直、ヤミツキ状態っす…「シェルブールの雨傘」
一度見たら忘れられない絵ばかり…「シベールの日曜日」
こんな女は深追いするな…「白夜」
何も感じなからったら人間イチからやり直した方がいい…「道」
“妻”と“女”の間で揺れる…「特別な一日」
恋と逃亡を経て“ジ・女”に変身…「近松物語」
精神的な普遍の愛を信じてる男…「デッドゾーン」
すれ違いは恋愛映画に不可欠…「町でいちばんの美人/ありきたりな狂気の物語」
これに比べりゃ「タイタニック」なんて…「ドクトル・ジバゴ」
男の人生変える年上の女…「君がいた夏」
リアリティある男女の会話を堪能…「恋のためらい/フランキーとジョニー」
ひねくれ者でも絶対泣く映画…「ある日どこかで」
これ以外は考えられぬ珠玉ラスト…「街の灯」
オーバー30限定しんみり映画…「アニー・ホール」
ラストの“奇跡”に思わず拍手…「緑の光線」
ほぼ反則シーンにこらえきれずに泣く…「パリ、テキサス」
恋愛は観るだけでもう腹いっぱい
ぼくの、わたしの泣ける恋愛映画

オイカワ&bellbellのベスト10
※↓の作品名をクリックすると該当部分に、監督名をクリックすると作品データに飛びます。

オイカワマサユキのベスト10 bellbell のベスト10   
「近松物語」 ('54年 溝口健二) 「街の灯」 ('31 チャールズ・チャップリン)
「浮雲」 ('55 成瀬巳喜男)「道」 ('54 フェデリコ・フェリーニ)
「白夜」 ('57 ルキノ・ヴィスコンティ) 「モンパルナスの灯」 ('58 ジャック・ベッケル)
「シェルブールの雨傘」 ('63 ジャック・ドゥミー) 「めまい」 ('58 アルフレッド・ヒッチコック)
「追憶」 ('73 シドニー・ポラック) 「シベールの日曜日」 ('62 セルジュ・ブールギニョン)
「アニー・ホール」 ('77 ウディ・アレン) 「ドクトル・ジバゴ」 ('65 デヴィッド・リーン)
「町でいちばんの美人/ありきたりな狂気の物語」 
('81 マルコ・フェレーリ)
「特別な一日」 ('77 エットレ・スコーラ)
「パリ、テキサス」 ('84 ヴィム・ヴェンダース) 「ある日どこかで」 ('80 ジュノー・シュウォーク)
「君がいた夏」 
('88 スティーヴン・カンプマン&ウィル・アルディス)
「デッドゾーン」 ('83 デヴィッド・クローネンバーグ)
「恋のためらい/フランキーとジョニー」 
('91 ゲイリー・マーシャル)
「緑の光線」 ('85 エリック・ロメール)

オイカワ まず皆さまに前回のお礼を。「刑務所&収容所」ではたくさんの反応があって、うれしかったです。そういえば、こんなのあったな、とか。ぼくは痛恨だったのは、たしかおいらさんが選んでいたカネフスキーの「動くな、死ね、甦れ」でした。

bellbell そうですねー、やっぱり映画っていろんな見かたがあるんだなーって実感しました。

オイカワ 皆さんが送ってくれたものを読むのが面白かったし、刺激にもなりました。ありがとうございました。

bellbell ですね、見落とした作品をフォローしてくださる方がいらっしゃると嬉しいですよね。

オイカワ これからもフォローよろしくです。われわれかなり偏ってる可能性あるんで。

bellbell 今回もその可能性 ”大” です。

オイカワ さて、今回のテーマは「泣ける恋愛映画」。ぼくがお題を決めさせてもらったんですが、へそ曲がりなわれわれがですね、こういうベタなテーマで何を選ぶのか、と。へそ曲がりなのに、意外とベタな映画選んじまうとかね。そのあたり読んだ人にも突っ込みどころありのテーマかな、と。

bellbell 私も自分の選んだ作品、タイトル並べただけでなんだか恥ずかしいですねー。丸裸にされたような・・・。 (笑)

オイカワ bellさんのはそんなに恥ずかしくないじゃない。俺の方が恥ずかしいベストでしょ、どう見ても。

bellbell そうですかねー。溝口健二選ばれるところなど、私には思いつきません。

オイカワ いや、その辺はともかく、年代が新しくなるにつれてかなり恥ずかしい感じになってきてるんで。

bellbell それはあります。最近の映画で泣いた作品、恥ずかしくていえません・・・(笑)

オイカワ うわっ、聞きてー。なんすか?

bellbell ベタです。「初恋の来た道」に「八月のクリスマス」 ・・・・・・恥ずかしいなあ・・・。

オイカワ だって、「初恋の来た道」は泣かせるためにある映画じゃないですか。

bellbell それで泣くのは私の信条に反するのですが・・・。

オイカワ そんなことより、今、「初恋の来た道」で急に思い出したんだけど、ベストの中に「恋恋風塵」を入れるの忘れてた!

bellbell いいですねー・・・。入れます? (笑)

オイカワ うーん、入れたいなあ。しかし、どれと入れ替えるかだよなあ。“泣ける”という観点から言うと、溝口か成瀬を落とすことになってしまいそうだしなあ。

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これはもう単に傑作…「浮雲」

bellbell 個人的には成瀬巳喜男は入れておいてほしいです。 (笑)

オイカワ うん、ぼくも。だってベスト1はって聞かれたら「浮雲」か「シェルブールの雨傘」って言うと思うもん。

bellbell 高峰秀子、いいですもん。

オイカワ やっぱり、役者が重要ですよね、ラブストーリーは。スターを堪能する醍醐味はラブストーリーが一番じゃないですか。

bellbell そうですねー、私今回のテーマ、悩んだ末俳優で選んだところもあります。

オイカワ でしょう。ぼくもそうですよ。

bellbell 成瀬の高峰秀子はとても好きです。どういった点で「浮雲」だったんですか?

オイカワ まず、これはやっぱり単に傑作じゃないですか。で、泣けるかというと、うぇーんと声を出して泣く感じじゃないですよね。むしろ心の中にずっしりと重いものが残るという感じ。だけど、自分が年齢を重ねるにつれてますますこの映画の凄さがわかるという点。何度見ても、前に見たとき以上に感動する。そういう意味では、本当にマスターピースですよね。本格的な大人の映画だと思う。それから、やっぱりなんといっても、高峰秀子と森雅之のすばらしさ。

bellbell 森雅之、どうしようもない男でしたねー。

オイカワ どうしようもない男なんだけど、あの2人は離れられないんだろうなという雰囲気がね・・・もうむせかえるほどよく出てましたよね。凄い色気だと思ったな、森雅之。

bellbell ずーっとひどい仕打ちを受けるのに、離れられない高峰秀子。離れ小島まで一緒にいっちゃうんですけど、そうせざるをえない彼女の心情、説得力があるんですよね。

オイカワ 凄いのは、高峰や森を見つめる視線の厳しさ。同情や甘さが無いんですよね。日本的だと思われがちな成瀬だけど、こういう厳しい視線って日本人には無いですよ。そして、それがシナリオ、演技、撮影、演出、あらゆる面で高度に徹底されてる作品だと思う。だから説得力あるんですよ。全てにおいて傑出した映画だと思いますね。

bellbell そうですね、最初に高峰が裏切られるシーン・・・。まだ戦禍の後が残る空き地みたいなところで、森と再会するシーン。あそこから ”始まった” わけなんですけど、印象深いシーンです。

オイカワ これ、よく考えると、「愛の嵐」に似てるテーマですよね。もともと森と高峰の関係は、当時の日本の植民地でスタートするわけですよね。そこで、それなりにいい思いもしてるわけで、そういった戦争の記憶をひきずった男女が再会してどうなる・・・という話ですからね。

bellbell もう悲劇は目に見えているんですけどね。船に乗って孤島に行く時、高峰の体の具合が悪そうで、観ているほうも ”あ、やばそう・・・” って思うんだけど、映画に引きずられちゃう感じです。

オイカワ どんどん悪い方にいきます。ろくでもない男に引っかかって離れられないバカな女の話って言ったらそれまでなんだけど、そういう卑近な話からこれほどまでに神話的な感じの悲劇にするのが凄いですよね。島に着いて、タンカで運ばれていくシーンや、凄い雨が降るシーン。ドキュメンタリー映画のような画質が悲痛さに輪をかけてますね。 そして、最後のあの高峰秀子のアップ。ランプの灯に照らされたアップの美しさ。世界映画史上に残るアップでしょう。

bellbell あの雨はすごいですよね。しかも森は彼女の死に目に会えなかったんじゃなかったですか?

オイカワ そうです。高峰はひとりで死ぬんです。

bellbell もうたった二人で地の果てに来てしまった、みたいな感じなのに、一人で死ぬなんて・・・。哀しいですよねえ。

オイカワ 哀しすぎますわ。でも、彼女はああいう風にしか生きられなかったんだろうな、という感じがまた良〜く出てるじゃないですか。高峰秀子って、ああいうどっかですねた感じっていうか、道はずしちゃった疲れた感じの女を演じさせるとホントうまいですよね。特に50年代以降の成瀬とのコンビはどれも絶品ですよ。

bellbell ハスっぱな女を演じてもどこか楽天家に見えますよね。嫌味じゃない感じ。

オイカワ そう。声が独特でしょ。

bellbell あまり良い声ではないんでしょうけど。

オイカワ でも忘れられないですよね。声の印象とワンセットでいろんなシーンが甦ってくるんですよ、いつも。

bellbell 「カルメン故郷に帰る」なんかも面白かったなー。

オイカワ 面白かったですね。ぼく、大好きな女優ですね。レオス・カラックスが成瀬と高峰秀子の大ファンで、「ポンヌフの恋人」の公開キャンペーンで来日したとき、高峰秀子に会わせろって言って会って大喜びしたらしいっすよ。

bellbell なるほどねー(笑)。どこまでも清楚な原節子とは対照的だけど、彼女も銀幕のミューズなんでしょうね。

オイカワ そうですね。外国人にも良さわかるんだなと思いました。まあ、ぼくらが外国のスター見て、いいなあなんて言ってるんだから一緒ですけどね。

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ベストカップル賞はこの2人…「モンパルナスの灯」

オイカワ bellさんが選んだものも綺羅星のごとくスターが並んでますね。

bellbell そうです。是非とも入れなくちゃって思ってたのが、ジェラール・フィリップ。もー、大好きで。 (笑)

オイカワ しかもベッケルだしね。

bellbell 前回「穴」を挙げたので「肉体の悪魔]]にしようと思ったんですけど、今の時代の感覚に合わないような気がしまして。

オイカワ ああ、確かにね。これ若き日のアヌーク・エーメが出てたでしょ。彼女もホントきれいだったよねえ。

bellbell 今回私の選んだ映画の中で、この二人がベストカップルです。二人ともほんと絵になってキレイです。

オイカワ これをラブストーリーとして選ぶことは思いつかなかったな。一応、伝記映画ですよね。

bellbell モジリアニです。絵が売れなくて酒ばっかり飲んで身を持ち崩すのですが、どんなに落ちぶれた役をやってもフィリップはキレイで繊細さが出るんです。アラン・ドロンなんかだと本当に暗くて陰鬱になっちゃうんですけどね。 (笑)

オイカワ ですね。やっぱりどっかで夢を見させてくれるところあるんですよ。だから本当の一流スターなんでしょう。アラン・ドロンは二流だもの。二流の良さはあるんだけどね。

bellbell この映画の場合、酔って女を殴ったりしちゃう。それでもエーメを含めて女の人は ”モジー!” って助けてあげる。私だってその場にいたらなんでもしてあげます。 (フィリップならば)

オイカワ あははは。しょうがないな、ジェラール・フィリップじゃ。男が見ても、きれいだなって思うもんね。でも、これはかなり悲惨な話で、ことにラストの悲惨さに泣けた記憶があるな。ラブストーリーというより、ダメ男の末路みたいな部分でね。

bellbell ”才能がある” ダメ男です!また、ベッケルらしいのがリノ・バンチュラの登場のさせ方なんですよね。

オイカワ モジリアニの似顔絵も当時はポンチ絵にしか見られなかった・・・天才はタイムリーには評価されないってことか。あれ、リノ・バンチュラどんな登場のさせ方してたっけ?

bellbell モジリアニが死んだら彼の絵を買いあさる画商です。モジの死を待って付け狙うんです。まさに ”死の象徴” 、死神のように演出されているんです。またフィリップの美しさと比べたら、醜い顔で・・・ (笑)。モジリアニの生前、彼の才能を一番評価していたのが結局その画商だったってわけなのですけどね。その辺のジレンマがベッケルらしいなーって思います。

オイカワ 残酷だなあ。フィリップ&エーメの美しさの印象が強烈過ぎてリノ・バンチュラの記憶が意外に残ってなかったっす。

bellbell そうですね、嫌な顔してます。 (笑)

オイカワ そうっすか。好きな役者ですけど。

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泣きのツボにもろストライクな話…「追憶」

bellbell オイカワさんの選ばれた映画の中でスター映画、といえば「追憶」ですね。

オイカワ バーブラ・ストライザンドは別に好きじゃないですけどね。

bellbell 私どっちかというと苦手です。 (笑)

オイカワ うん、ぼくも(笑)。ロバート・レッドフォードもそれほど好きなわけじゃないんだけど。

bellbell でもこの映画のテーマを聞いたら思わず涙する方も多いでしょうね。特に40代以降の方々でしょうか。

オイカワ この「追憶」はですね、とにかくぼくの泣きのツボにもろストライクな話なんですよ。

bellbell どこで泣きました?

オイカワ やっぱりラスト。それと音楽、マーヴィン・ハムリッシュの。ただ、これはラストだけ見ても泣けないと思う。最初から全部見た上で、あのラストがあって初めて泣けるという・・・

bellbell そうですね、二人の愛の変遷、その時代背景も重要な映画なんですよね。

オイカワ 人間ってやっぱりどこかで社会的、政治的な部分に規定されて生きざるを得ないところあるじゃないですか。まず、社会であり歴史であるような、大きな物語があって、その中で共に生きそして別れた、とある男女の小さな物語がある。その構造自体がぼくの泣きのツボにドンピシャなんですよ。で、別れた二人は違う生き方をして偶然再会して、なんてことない会話を交わす。

bellbell 私この映画を観たの、20代前半だったかなー。バーブラ・ストライザンド、強すぎて引きました。私だったら愛一筋に生きちゃうなー って。 (まだ愛に幻想を抱いてましたから 笑)

オイカワ ぼくも10代で観たときは正直わかりませんでした。ただ、30過ぎてたまたまテレビでやってるの観たとき泣けてねえ。テレビ版はズタボロにカットされてるやつだったんだけど。レッドフォードとストライザンドってカップリングはあり得ないだろうと思いつつね。でも、現実は意外とこんなカップルいるかもな、と思ったり。

bellbell 愛に一直線で描かないところは大人っぽいです。きっと人間の生きる意味、価値ってのもテーマのひとつなんでしょうね。

オイカワ そうなんです。ストライザンドが演じる女にしても、自ら能動的に生き方を選んでいるように見えるけど、やっぱり社会的なものに規定されちゃってるわけで、その辺、かなり広い視野で捉えてる話でね。だからこそあのラストがせつないんですよ。好きだのどうだのっていうのは、そんなに長続きする感情でもなくって、長い時間一緒に生活して生きてっていうところで生まれる感情があるじゃないですか。一緒に生きた男女が結局別れざるを得なくて、時間がたって偶然再会する。もうあの頃には戻れないけど、記憶は残ってるわけで。そういう記憶であるとか、時間であるとかね、一瞬にして感じさせるようなラストで、思わずグッときましたね。

bellbell ラストで再会する、その意味付けが重いんでしょうね。復縁するわけじゃなくて、どうあがいてもやり直すことができないって事実をお互い知ってしまうんですね。

オイカワ まさにそこです。今が幸福というわけではないけど、やり直すことはできないからなにごともなかったように別れる。あのラストのレッドフォードとストライザンドの演技は良かったと思います。控えめな中に、そういった年月とか感情をさらりと感じさせてね。この「追憶」の原作・脚本はアーサー・ローレンツで、この人凄いキャリアの人なんですよ。

bellbell どんな人なんですか?

オイカワ まず、ヒッチコックの「ロープ」の脚本家。それから「悲しみよこんにちは」「追想」の脚色。「ウエスト・サイド物語」「旅愁」の原作。

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ちょっと寄り道…ヒッチコック「ロープ」は傑作か?

bellbell 「ロープ」は意外な気がします。

オイカワ ちょっと脱線するかもしれないけど「ロープ」って変な映画で、もともとの原作戯曲を脚色したのが、ヒューム・クローニンっていう役者です。「コクーン」とかにも出てました。それをさらに映画用の脚本にしたのがアーサー・ローレンツです。

bellbell ヒューム・クローニンってジェシカ・タンディのだんなさんですねー。若い頃は悪役が多かった人ですよね。

オイカワ そうそう。ぼくが前回あげた「大脱獄」にも出てた。たしかヒッチの「疑惑の影」にも。

bellbell 2003年に亡くなっています。でも「ロープ」は実験的な映画で、傑作とはいえないのでは?

オイカワ あ、そんな最近まで生きてたんだ。「ロープ」は凄まじい傑作だと思ってたけど・・・(笑)。

bellbell この映画の特色は、なんといっても全編ワンカットで撮ったってうたい文句です。

オイカワ そうですね。ワンシーンワンカットじゃなくて、ワン映画ワンカット。

bellbell オイカワさんは傑作とおっしゃっいますが、私はその点ばかり気になって映画に集中できませんでした。

オイカワ その気持ちわかりますよ。技巧ばかりが目につくってやつですよね。

bellbell ええ、私本で読んだのですけど、ヒューム・クローニン自身も不満だったようですね。ただ、ヒッチコックの悪趣味な部分がよく出ていて、今見るとすごーく興味深い映画だと思うんです。

オイカワ あ、そうですか。ヒューム・クローニンどんなこと言ってました?

bellbell 「映像に熱中しすぎて、大きなストーリーの流れが見えにくくなり、ドラマとしての構成が不自然になることがあった。」って述べてます。

オイカワ まったくその通りだ(笑)。ただ、言い訳すると、ぼくが考える傑作って、もしかしたらちょっとズレてるかもしれないな。

bellbell どんなところに心惹かれるのですか。

オイカワ あの〜、まずですね、結果がどうであれ攻めの姿勢がある映画は、傑作だと断言してしまうことがあります。

bellbell 映像的にでしょうか?

オイカワ いや、映像だけではなく、シナリオでも演技でも何でも。

bellbell この映画はちょっと同性愛っぽいってことも言われてますし、やっていること自体モラル的には許せない部分があります。 

オイカワ 許せないのは、この映画の登場人物たちがですか? それともそれを無批判に描いたヒッチコックがですか?

bellbell いえ、ヒッチコックの性癖はいろんなこと言われているし、それを芸術として昇華させているからいいのですが。死体をもてあそんでいますよね。”死体で笑わせる”ってのは、その後もっと上品にユーモア交えて「ハリーの災難」みたいな映画で欲求を晴らしているみたいで面白いと思っています。

オイカワ ヒッチコックには、映画のネタにさえなればどんなものでもたぶん材料に使うだろうなっていう怖さがありますよね。そういう意味では、ヒッチコックにモラルを求めてもしょうがない。彼はイングリッド・バーグマンに「たかが映画じゃないか」と言ったけど、“たかが映画”に自らのアンモラルな部分を全て託したのはヒッチコック自身なわけですよ。“たかが映画”が無ければ、ヒッチコックはたぶん犯罪者になったんじゃないかっていう気すらします。だから、ぼくはヒッチコックは正真正銘の変質者だと思う(笑)。

bellbell はい。変質者です(笑)。「ロープ」に主演したジェームズ・スチュアート、彼はヒッチコック映画の常連なのですが、彼でさえこの「ロープ」について、「夜も眠れなかった。カット割りなしで映画を作るのは、ペースを決め効果を挙げるための道具を捨てるようなものだ」と言っています。正真正銘の変質者ぶりを暴露した映画「めまい」にスチュアートも出ているのですが。

オイカワ ジミー・スチュアートの発言、それ凄いなあ。夜も眠れなかったのか。「ロープ」に関してぼく自身の感想をちょっと補足すると、ヒッチコックの変質者性が、技術的なレベルまで浸透、というか徹底されてる。そこですねやっぱり。そこまでしないと気が済まないのかという。後味は確かに悪いです。お話の整合性はきっちりとれてるのに悪夢を見ている感じがしました。いろんな意味で気色悪い映画だけど、それでもあんなことやろうとした人はいないし、あんな映画は見たこと無い。そういう意味で傑作だと断言したんですね。

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理屈じゃなくてそうせざるを得ないのが恋愛…「めまい」

オイカワ ぼくばっかり話しちゃいましたが、「めまい」、まさにヒッチコックの変質者ぶりが最も美しく昇華し結実した奇跡的な作品でしょう。この映画の素晴らしさについて、泣ける恋愛映画としてピックアップした理由も含めて、bellさんにはたっぷりと語っていただきましょう。

bellbell これは映画としても素晴らしいのですが、ヒッチコックファンの私としては、ヒッチがJ・スチュアートに完全に自己投影した映画として観ても、相当切ないものがあります。まず偏執的な理想の金髪女性に対する願望、憧れがすごくストレート。次に死に対する強迫観念と、反対に美しい女性に対するイメージを永遠に持ち続けていたいという残酷で悲しい欲望ですね。

オイカワ もう、今の説明で全てわかりますねえ。ホント切ないですよ。完全にヒッチコックのプライヴェートフィルムみたいな感じですからね。

bellbell もう完全にネタバレ覚悟で話しちゃいますが、スチュアートはキム・ノヴァクを死んだ (と本人は思っている) 理想の女性に変えようと必死に努力するわけですね。目の前のノヴァクなんて全く関係ない。死んだ女性だけを追い求めて髪型から服装、全く同じにさせる。私が一番感動したのが、夜のシーンで赤毛のノヴァクの髪の毛の色が、逆光で金髪に見える。そしたらスチュアート、目に涙を浮かべて恍惚の表情なんですね。このスチュアートにいたく感動しました。

オイカワ ああ、あの顔は凄い。紅潮して涙ぐんでるんだよね。ヒッチコックがイタコのように乗り移ってますよ。それに耐えたスチュアートも偉い役者ですよねえ。ああいう演技にこそアカデミー賞とかあげるべきでしょう。それと、あのキム・ノヴァクは完全にグレース・ケリーを投影させてるでしょ。

bellbell キム・ノヴァクは金髪と赤毛、二タイプで登場するわけですが、金髪はクール・ビューティですね。しつこいくらい髪型とか横顔のアップ撮りまくって (笑)。怖いのは外見だけを追い求めていて、ノヴァクの心情を全く無視しているところです。ノヴァクは犯罪に加担したという罪悪感があるのに、好きな男(スチュアート)の言いなりで、犯罪者の姿に逆戻り・・・。残酷ですよね。

オイカワ ヒッチにとって大事なのは容姿だけなんですよ。だからこんなにアンモラルな人はいないよねえ。それをなんの罪悪感も無く堂々と撮るからね。ここまで自らの変質者性に忠実に撮れれば、これが遺作になってたとしても本望だろうね。あ、そうそう、死への脅迫観念っていう点ではどうなんですか? つまり、ここまで変態オープンにして撮るということは、ヒッチコック自身この時期、死を意識してたような節はあるんですかね。これで死んでもいいというような。死に関しての伝記的な事実で何か知ってること、bellさんあります?

bellbell あまり記憶にはないのですが、この時期のヒッチコックは一番ノッていた時期だけに、ハリウッドの映画監督としてのステイタスからの ”転落” を恐れていたのかもしれませんね (完全に勝手な推測)。スチュアートは高所恐怖症という設定で、高いところに登るとめまいを起こすのですが、その時の表情が非常にセクシーです。彼の映画ではロマンチックなキスシーンでも単純でないですから。「汚名」もそうですけど、甘美と背中合わせのスリルや破滅の予感とかですね。

オイカワ うろ覚えだけど、グレース・ケリーに振られ、彼女がモナコ王妃になって、失意のヒッチはひどくアルコールに溺れている時期があった、というようなことを何かで読んだ記憶があるんだけど。それがこの時期だったのかなあとも思ったんですが。まあ、でもいかにも出来すぎのゴシップって気もするよなあ。太っていたから常に死ぬかもしれないと思ってたとか・・・。でも、仮にそうだとしても、それで作る映画が面白くなるかといえば、そんなことないしね。

bellbell 確かにこの映画の前、グレース・ケリーやバーグマンに ”捨てられた” (笑) と落ち込んでいた時期もあったようです。ただ、彼の女性や恋愛に対する憧れはピュアだと思いますね。人を好きになること・・・恋愛というものを理屈ぬきで”そうせざるを得ない”無意識な要求や衝動に駆らせる情熱として映画で描いています。ここで妙に納得して感動してしまう人も多いのではないでしょうか。

オイカワ 説得力あるなあ。そのピュアネス、それがたとえ一方的なものであっても本物の感情であることは間違いないわけですよね。

bellbell いくら偏執でも変質でも、それを映画として観る分にはひとつの象徴されたイメージを見ているようなものですからね。

オイカワ でもね、ぼくなんか思うのは、ヒッチコックのピュアネスっていうのは、意地悪な言い方すれば個人的な妄想じゃないですか。個人的な妄想を、ああいう風に偉大なエンターテインメントとして成立させることができたんだから、ヒッチコックは映画作家としては、本当に幸福な人だなと思いますよ。それで、彼の欲望が満たされたかどうかはわからないけどね。

bellbell 映画の成功と本人の欲求に対する満足度が比例していったとは思えませんよね。ただ彼の女性に対するすごい卑屈な欲望がすごい映画を作るエネルギーだったことは確かですね。

オイカワ そうだよね。ヒッチがモテモテ君だったら、あんなに凄い映画は撮れなかったかもしれないだろうしね。ロジェ・ヴァディムなんてモテモテ君だろうけど、映画はたいして面白くないしな(笑)。

bellbell そうですねえ。ヴァディムということで、あれ、でしょうか?

オイカワ え、あれ?

bellbell あ、ドヌーブかなーと。 (笑)

オイカワ ああ(笑)、あんまり何にも考えないで発言してました。あれに行く前に、「めまい」絡みでひとつbellさんに質問したいんですけど。「めまい」のキム・ノヴァクの描かれ方だけど、人間として扱われてないじゃないですか。それは女性としてどう感じました?

bellbell 確かにそうです。でも結局ノヴァクはスチュアートに対する想いから、自分で選んで過去の姿に戻る。そこに相当な葛藤があるのですが、破滅への道を自ら選んだ。彼女は犯罪に加担していたわけですし、当時の映画のモラル的に見ても彼女は罰を受けて当然だったのでしょう。かわいそうなんですけどね。

オイカワ うーん、そうかあ。また説得された。「めまい」に関してのbellさんの話は非常に勉強になりました(笑)。特に「恋愛というものを理屈ぬきで”そうせざるを得ない”無意識な要求や衝動に駆らせる情熱」と位置付けるところは感動しちゃいましたよ。ぼくは個人的にあんまり情熱がないずるずるべったりの恋愛ばかりしてきたので(笑)、なかなかそういう視点が持てなくってねー。

bellbell いくつになっても ”恋愛に対する幻想” みたいのは誰しも持っているんじゃないでしょうかねー。実際そういった行動を取る人は少ないでしょうけど。

オイカワ そうですか。幻想すらあんまり持ってない俺って…。

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正直、ヤミツキ状態っす…「シェルブールの雨傘」

オイカワ まっ、いいか、あれに行きますか(笑)。「シェルブールの雨傘」。

bellbell これはねえ、オイカワさんが挙げるとは思いませんでした。 (笑)

オイカワ そうですか。ぼく、もの凄く好きですよ、これ。かれこれ20年間、年に1回は見てますよ。

bellbell ドヌーヴ、キレイですよねえ。

オイカワ キレイすぎてね、あんまり生身の女って気がしないけどね。

bellbell しかもこれ、ミュージカルですからね。街並みといい、浮世離れした雰囲気が漂ってません?

オイカワ ファンタジーですよね。でも背景には戦争があるんですけどね。

bellbell 最初と最後のシーンが忘れられないですよね。

オイカワ 最初の“傘”のシーンははまさに名場面ですね。ラストも、思い出しただけで泣けますよ。

bellbell 恋人が戦争に行っちゃったんでしたっけ?

オイカワ そうです。兵役ですね。ただ、時期的に背景にアルジェリア戦争の影を感じます。

bellbell あ、アルジェリアだったんですね。そういうテーマの映画なのに音楽劇にしてしまうなんてすごいですよね。

オイカワ アルジェリアと明言はしてないけど、その線が濃厚じゃないかと推測してるんです。愛し合う恋人同士、男が兵役で離れているうちに運命の歯車が狂って・・・という話です。言ってて恥ずかしくなってきますが。

bellbell で、いない間に妊娠していたことがわかるんですよね。

オイカワ そうですね。それで、ドヌーヴとその母親に非常に親切にしてくれるお金持ちの男がいて、最初、彼女は兵役に行ってる彼氏一筋なんですけど、途中で転戦してるうちに、それまでマメに届いていた手紙が届かなくなってくる。彼女は子供のことも不安があるし、お金持ちの男は非常に親切で紳士だし、だんだんと気持ちが傾いてくるんですよ。

bellbell あ、そうだそうだ。で、お金持ちが彼女妊娠していること知っていて、結婚してあげるんですね。昔観たときこの紳士が一番良い人に思えました。 (笑)

オイカワ 実際いい人なんですよ。下心を表に出すわけでもないし。純粋にドヌーヴのことを愛しててね、結婚申し込むんですね。

bellbell いい人ですね。普通お金持ちは腹黒いと相場は決まっているのに。

オイカワ そうそう。でもこの人がいかにも腹黒そうだったら、この映画成立しないからね。ドヌーヴの恋人への愛はその程度のもんだったのかということになっちゃうから。

bellbell でもドヌーヴ、まだ若いですよね。初心(うぶ)な感じで、つい遠くの恋人より近くのお金持ちを選んじゃった心情、共感できるんですよ。

オイカワ ぼくも、ドヌーヴひどいじゃないか、とは全く思わなかった。しょうがないよなあ、と思った。でも、この映画の素晴らしさを話すの意外と難しいなあ。

bellbell 話が単純ですよね。で、最初のシーンからラストまで、流れるような展開でひとつひとつのシーンをわりとよく覚えているような気がします。

オイカワ ストーリーだけ話してるとバカみたいな気がしてくる(笑)。ストーリーにこだわらずに話すと、まずミュージカルとして非常に野心的なことをやってると思うんですよ。今、bellさんが言ったように、流れるような展開っていうのが、まさにその野心的なところの表れですよ。普通、ミュージカルといっても全編歌いっぱなし踊りっぱなしじゃなくて、歌や踊りの部分とそうじゃない普通の演技の部分がありますよね。ミュージカルの醍醐味のひとつに、普通の会話が歌に変る瞬間や普通の動きが踊りに変る瞬間のダイナミズムを楽しむっていうのがあると思うんだけど、この「シェルブールの雨傘」はそういうダイナミズムに背を向けてる。全てのセリフが歌になってる。オペラ形式ですね。

bellbell これがまた見慣れるといいんですよね。ドヌーヴなんて頼りなげな感じなんですけど、歌声がキャラクターに合っていて。

オイカワ 最初はちょっと驚きましたね。もともとミュージカルって形式自体、決して自然じゃないところにきて、さらに徹底的に不自然さを追求したようなやり方をしている。これはミュージカルの実験映画か!?と最初は思いましたよ。

bellbell 見始めた時は、いつフツーにしゃべるんだ? って思うでしょうね。 (笑)

オイカワ まさにそう。ところがこれが病みつきになるんです(笑)。また、ミシェル・ルグランの音楽が良くってね。有名なメインテーマが非常に効果的な素晴らしい使われ方をしていて、これも名場面だけど駅での別れのシーン、そしてラストの一瞬の再会と別れのシーン。うわーっ、ベタだーと思いつつ、毎度毎度泣かされてしまうんですね。

bellbell これってセット撮影なんでしょうか?大げさで目の痛くなる「ムーラン・ルージュ」を思い出したもので。

オイカワ セットとロケセット両方でしょう。ファーストシーンはロケですね。「ムーラン・ルージュ」見てないんだけど、これに似てるの?

bellbell 悲恋もののミュージカルです。19世紀くらいが舞台かな。

オイカワ 色も含めて画面の質感とかは似てるんですか?

bellbell 全然。豪華絢爛、人工美の極致です。

オイカワ あ、そうなんだ。「シェルブールの雨傘」のカラー撮影は、ぼく、非常に優れたものだと思ってます。意識的な色の配置をかなり周到にしてますよね。全体的には、浮世離れしてる印象でまとめてるけど、それは最初からこういう世界を作ろうっていう意図されたものですよね。その世界が好きかどうかは別にして、色彩の使い方で、あるファンタジーの世界を成立させようと考えていて、それに成功してると思います。小道具から衣装に至るまで、かなり意識的な色の使い方をしてるっていう点を見てもらえるとうれしいですね。それとね、余談ですが、ぼくは「シェルブールの雨傘」と、ゴダールの「女は女である」のカラーの質感や色の使い方がすごく似てるなあって思ったんですよ。

bellbell 「女は女である」は見ていないんですが。

オイカワ そうですか。機会があったらぜひ見てください。ゴダール史上最もプリティな映画だと思いますよ。

bellbell いつ頃の映画でしょうか?

オイカワ 1961年です。ゴダールの長編3本目っすね。

bellbell 観ます観ます。「シェルブールの雨傘」のラストはガソリンスタンドでしたっけ?雪が降っていませんでした?

オイカワ もちろん降ってます。しかもクリスマスイヴ。

bellbell そういえばツリーもあったような。やっぱり悲恋に冬はよく似合いますね。

オイカワ ツリーありましたよ。外で雪が降ってて。今は別な女性と結婚して幸せな生活を送ってる男が、自分が経営してるスタンドにいて、そろそろ閉めようか、なんて思ってる。イヴの夜ですね。そこにベンツが入ってくる。今年最後の客か、なんて思いながらベンツに近寄ると乗ってるのがドヌーヴとその娘なんですね。

bellbell 彼の娘なんですよね。彼は知らなかったんでしたっけ?

オイカワ ドヌーヴがチラッとそれとなーく言うんですよね。「あなたに似てるわ」とか何とかね。それだけです。

bellbell 一瞬の再会でお互いの状態が人目でわかって、別れる。切ないですよね。

オイカワ 「追憶」と同じパターンです(笑)。ぼくの泣きのツボですよ。

bellbell なるほどね。再燃したり悪あがきはダメなんですね。 (笑)

オイカワ 自分に無いものに憧れるという・・・(笑)

bellbell こういう映画を観ると ”いい別れ方しなくっちゃ” って思いますねえ。

オイカワ 現実はなかなかね、こうキレイにはいかんでしょう。別れるのにはエネルギーいるし、こんな風に絵になる再会も無いだろうし(笑)。

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一度見たら忘れられない絵ばかり…「シベールの日曜日」

bellbell ではフランス映画つながりで、「シベールの日曜日」でいいでしょうか。

オイカワ いいですよ。この「シベールの日曜日」、非常に名高い映画なんですが、実はぼく見てないんです。60年前後のフランス映画って、弱点なんですよ。ヌーヴェルバーグ以外の作品は見てないの多いんです。だから、まずこの作品がどんな映画かっていうあたりの説明と、どこに魅かれるのかをbellさんに教えてもらおうかな、と。

bellbell これはノーマルな恋愛映画でないです。はっきりいってアブノーマルな世界。その点でピュアな感情が際立っているように思えます。あとなんと言っても映像美。これはもう詩の世界です。

オイカワ そうですか。どんな風にアブノーマルなんでしょう?

bellbell 戦争で心に傷を受けた青年が帰国するのですが、彼を優しく見守る彼女と人間関係が上手く築けません。なかなか社会生活に復帰できないのです。

オイカワ そこまでは、わりとよくある設定だなあ。

bellbell で、青年は寄宿舎に入れられた少女と知り合います。この少女は父親に見送られて寄宿舎にやってきたのですが、父親に見捨てらるようなエピソードが挿入されてます。

オイカワ ははあ、なんとなく見えてきたぞ。その少女は何歳くらい?

bellbell えーっと12歳くらいかなあ・・・。いや、思春期前でしょうか。10歳くらい。で、彼とその女の子、社会に背を向け二人だけの素敵なラブラブな世界にどっぷり浸ります。

オイカワ やっぱりそうか。具体的にどんなラブラブな世界なんでしょうか。

bellbell 二人で甘い夢を描くんですね。”私が18になったらあなたは40ね” (・・・だったかな?) とか、手をつないで公園を恋人みたいに歩き回る。

オイカワ それだけですか?

bellbell 青年が少女に焼きもちやく。お友だちと食事してる時も、幻影が見えちゃったりする。少女にベタベタする男の子を殴っちゃったりもする。相当ヤバい、というか現代では犯罪ですね。

オイカワ いや、でも話を聞いてる限りでは、そんなにヤバイとは感じないけど。もっと、ロリコンとかその筋の人たちにとってたまらんという映画かと思った(笑)。

bellbell プラトニックですから。ナボコフの「ロリータ」とは若干世界が違います。

オイカワ あ、なるほど。プラトニックですか。ということは、彼は戦争が原因で性的に不能になったというくだりはあったりするんですか?

bellbell そこらへんは明確に描かれていません。恋人は、この青年のしていることを優しく見守っているんです。

オイカワ そうか。その恋人の存在は面白いなあ。彼女はまったく嫉妬したりはしないわけ?

bellbell すごーく不安に思って、彼の後をつけるんですね。で、日曜日の冬の公園で過ごす二人をこっそり見る。で、最後に木の陰からニッコリ微笑んで立ち去って行くんです。

オイカワ あ、それはいいね。ぼくは少女より、その恋人に興味があるなあ(笑)。でも、物語的なパターンという観点から推測すると、この話なら悲劇でしかオチをつけられないよな。

bellbell そうです。毎週日曜日公園で過ごす二人、見かけた人たちは異様に思うんですね。で、クリスマスの夜は二人で過ごそうって決めていたんですけど、警察に通報されて・・・・・・。って悲劇です。

オイカワ なるほどね。bellさんが泣けるのは、そういったある種アブノーマルな関係を設定したからこそ見えてくる、余計なものを削ぎ落とした人間の感情っていうあたりなんですか?

bellbell 普通の男女の色恋沙汰には涙腺が緩まなくなっていますから。”そんなのありっこないー”とか”私はそんなコトしないよ” とか。こういうアブノーマルな関係のほうが人間が本能的に持っている ”人を愛したい””人から愛されたい”って感情が強く感じられて、好きなんです。

オイカワ 「めまい」のときと一緒ですね。

bellbell そうですね。また、この青年の理解者であるおっさんが言うセリフ・・・。 「ピエールは少女の世界にいる時が一番幸せなんだ。」  この少女の世界を冬の公園だけで表現している。立ち並ぶ白樺や、白い馬に乗って走り去る見知らぬ青年、二人が池に投げ込んだ石の波紋。すごくキレイなんです。

オイカワ ああ、“詩”ですね。監督のセルジュ・ブールギニョンって、字面だけ見るとロシア系ですかねえ。よく知らないんですが、ほかにはどんな作品を撮ってますか?

bellbell 私もこれしか観ていないんですけど、60年代は「セシルの歓び」「メキシコで死ね」、あと80年代「17才」。これだけ。「シベール・・・」はカメラがアンリ・ドカエですからねぇ。誰も文句は言えないでしょう。

オイカワ 名カメラマンですね。ルイ・マル、シャブロル、トリュフォーの「大人は判ってくれない」。「太陽がいっぱい」もそうですね。映画辞典みたいなものを眺めてみると・・・これ、スタッフ超豪華ですねえ。音楽がモーリス・ジャール、50年代の仏映画からハリウッドの大作まで手がける大作曲家ですよね。bellさんが選んでる「ドクトル・ジバゴ」もモーリス・ジャールです。あと、美術がベルナール・エヴァン。この人は、ジャック・ドゥミーとのコンビで有名ですよ。「シェルブール〜」は違うけど。ゴダールの「女は女である」の美術もエヴァンのはずですよ。

bellbell おおー、そうなんですか。すごいスタッフですね。いい映画撮れて当たり前かも・・・。でもこの映画の全体の雰囲気、冬の公園のシーンに象徴されるような孤独な二人の姿が忘れられない映画なんです。

オイカワ そうですか。これはモノクロですか?

bellbell モノクロです。最後はクリスマスの夜。「シェルブール・・・」と同じなのですが、、悲劇的なラストシーン、白と黒のコントラスト、雪の冷たさ・・・。いいですよ。

オイカワ 目に浮かぶなあ。アンリ・ドカエのカメラでモノクロなら、それは見たいな。

bellbell もう一度観たら忘れられないような絵ばかりです。

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こんな女は深追いするな…「白夜」

bellbell オイカワさんの選ばれた中に、「シベール・・・」のような全体の雰囲気やトーンに重きを置いたような映画はありますか?

オイカワ 冬つながりで言えば、やっぱり「白夜」だろうな。ただ、これがヴィスコンティの作家的なトーンなのかどうかは自信持って断言はできないけど。

bellbell そうですね。ヴィスコンティがちょうどリアリズムから耽美へ移行する時期の作品じゃないでしょうかね?

オイカワ ぼくは、後期ヴィスコンティに今いちノれないところがあって。ノれるノれないとか言ってる場合の映画じゃないんだけど。実は「ベニスに死す」が一番ノれなかった(笑)。

bellbell 私は結構面白く観てしまいます、ヴィスコンティ。映画そのものより彼の生き様・・・、貴族の出なのに左翼行っちゃったとかゲイだったとか、そんなところに興味があるので。 (笑)

オイカワ ぼくもそういうのは大好きなんだけど、実際映画見ると「ベニスに死す」は、よくわかんないんですよね。遺作の「イノセント」は予想外にノれたかな。あと、「地獄に堕ちた勇者ども」も後期の中では好きな方だな。でも、やっぱり前期から中期にかけてが圧倒的に好きですね。特に今回選んだ「白夜」、それから「夏の嵐」と「若者のすべて」だな、やっぱり。

bellbell 私も「白夜」入れようって考えてたんですけど、他のマストロヤンニ映画を選びました。この映画の好きな点はどこでしょう?

オイカワ これはね、ここが好きというレベルじゃなくて全部好き。

bellbell じゃー、好きなシーンは?

オイカワ それも全部(笑)。でも、そうだなあ、やっぱり、クライマックスの雪が降り出すシーンかな。そこから後はやっぱり全部好き(笑)。

bellbell 雪の舞う中、二人を乗せたボートが漂うんですよね。

オイカワ そうですね。やっとマストロヤンニのマリア・シェルへの思いが伝わった…と見えた瞬間ですね。二人が夜の川にボートを出して、くねくね曲がった水路をゆっくり進んでいって、橋の下かどこかで止まるんですよね。その瞬間雪が降ってくる。あの瞬間は、ゾクゾクした。映画的エクスタシーっていう感じでしたよ。

bellbell これ全部セット撮影なんですけど、この雪の降る感じとか・・・、人工的ってわかってるんだけど、すごくキレイなんですよね。

オイカワ このセットは凄いよねえ。今回観直したんだけど、あらためて驚愕しましたね。技術的な面での高度さったらないよ、ホント。もう、あらゆる映画人はこれを見ないとダメですよー。

bellbell すごく奥行きを感じさせる撮り方してますよね。ラストのほうも手前にいるマストロヤンニから観た視点で、走り出したマリア・シェルからコートがハラっと落ちて、ジャン・マレーと遠くで抱き合ってるのが見える。マストロヤンニ、孤独でね。

オイカワ そのクライマックスシーンは、まず、肩を寄せ合ったマストロヤンニとマリア・シェルが歩くところを横移動で撮って、二人の背景の壁が切れて視界が開け、橋が見えた瞬間に雪で真っ白な中、全身黒ずくめのジャン・マレーが見える。観客の視線は一気にそこに行きますよね。奥行きが突然、目の前に現れる。この見せ方が素晴らしい。幸福の絶頂にいたマストロヤンニが一瞬にして孤独に舞い戻るのも、あそこをワンシーンワンカットに近い長回しで撮っているからこそ出せたんだと思います。長回しだから凄いんじゃなくて、ドラマの本質を描き出すためにはどんなセットの中、どんな演技を、どんなカメラワークや照明で撮るべきなのか、それを考え抜いてるからこそ凄いんです。ヴィスコンティは芸術家って言われるけど、ぼくはむしろ芸能の人、芸能者(もの)だと思ってます。ドラマを最高の状態で客に見せるためには何をすればいいのかを徹底的に考え抜いてるという点でね。

bellbell すべてが完璧にコントロールされているんですね。しかしこの映画のマストロヤンニ、好きです。恋人に再会したマリア・シェルを見つめる彼、泣いているんですよね。「めまい」のジェームズ・スチュアートの時もそうだったけど、男の人の涙に弱いかも。女優の涙は ”けっ” って思うことが多いですが。 (笑)

オイカワ なるほどー。男の涙ね。ぼくもマストロヤンニのダメ男ぶりには好感を持ったなあ。あの変なダンスするところとかもね。逆に、マリア・シェルにむかついた。唯一のこの映画の欠点は、なんでマストロヤンニがマリア・シェルにあんなに惹かれるのかが理解できないところ(笑)。

bellbell 思い出しても笑っちゃうけど、私もあのダンスシーン、大好きです。マストロヤンニのはしゃぎぶりが手に取るように伝わってきて・・・。すごーくカッコ悪いけど。 (笑)  マリア・シェル、男性の目から見てもムカつくんですか。こういう女はホント、相手にしちゃいけませんね。最初だって、マストロヤンニから逃げ回ってるし。しかも ”追いかけてきてー”みたいな感じで。

オイカワ この女がむかつくのか、マリア・シェルがむかつくのかわかんないけど、ぼくの中ではマリア・シェル=むかつく女になってる(笑)。いくら雑食主義の俺でも(笑)、こういうのを深追いするとマズいぞという危機感知センサーが作動しますよ。だけど、この映画の中のマストロヤンニには危機感知センサーがついてない感じが良く出てましたねえ(笑)。

bellbell そーかー。なるほど。孤独で純粋な感じでいいですよね。

オイカワ いますよ、こういう奴。そっち行ったら絶対マズいぞ、っていう方に必ずいく奴。

bellbell 周りがなんと言おうとも、聞こえないんですよね。

オイカワ 聞こえないし、聞こえても「邪魔してる」とか逆恨みしそうな感じ。良く言えば「一途」ってやつですかね。

bellbell でもマストロヤンニが演るとどんな役やっても嫌味じゃないんですよね。

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何も感じなからったら人間イチからやり直した方がいい…「道」

オイカワ さっき「シベール〜」のときに、話が出たbellさんの泣きのツボ、「アブノーマルな関係の方が人間が本能的に持っている感情が感じられる」をもとにして、bellさんが選んだ作品を見渡すと、「道」がまさにそれじゃないですか!?

bellbell ですね。フェリーニですから、相当好きです。

オイカワ ああ、フェリー二お好きで?

bellbell 好きです。両手挙げます。この ”泣ける恋愛映画” で一等最初に思いついたのはコレです。

オイカワ うん、たしかにこれは泣ける。

bellbell ひどい話なんですけどね。これもまた、フェリーニがリアリズムから「甘い生活」へ転換した時期の映画です。

オイカワ しかし、もうこれは神話的な域に達してるストーリーですよ。

bellbell そうですね。一つのパターンかもしれませんね。純粋無垢で献身的な女性と、傍若無人、身勝手で人をうまく愛せない野獣のような男性。

オイカワ しかも、女は少し弱いというか足りない。

bellbell ジュリエッタ・マシーナ、この演技はインパクトがありますよね。今観るとありすぎかもしれませんが・・・。”母性”の象徴なんでしょうね。

オイカワ フェリーニと母性の関連はよく言われるし、事実そうなんだけど、実は、ぼくはこのジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナからは母性というのはあまり感じなかったんですよ。むしろ、子供的なものを感じた。

bellbell 綱渡りの青年と仲良くなりますよね。おそらくジェルソミーナはその彼に愛情を抱いていたと思うのですが、結局ザンパノを選ぶ。ここらへんで異性への愛というより母性を感じるんじゃないでしょうか。デキの悪い子放っておけない母親、みたいな。

オイカワ ああ、なるほどね。細かいところの記憶はあいまいなんですが、見たときに感じたことが大きく言って2点ありまして。まずひとつは、とにかくラストにものすごく感動したということ。もうひとつは、こういう太いストーリーを思いつくのは凄いということです。どちらも当たり前の感想だけど(笑)。太いストーリーと言って、果たして人に伝わるのかどうかも不安だけど。

bellbell そうですね、誰もザンパノに感情移入できないような展開から、ラストのあの号泣するシーン・・・。これもやっぱり男の泣く映画ですが、あのシーンでザンパノの人間らしい感情が初めて表される。このラストシーンで何も感じない人がいたら、人間イチからやり直してほしいです。

オイカワ ああ、良かった。やり直さないで済んだ(笑)。でも、これはぼくは恋愛映画としては全くノーマークだったな。

bellbell そうですねー、ザンパノとジェルソミーナの間に恋愛といえる展開はないのですが、お互い愛情は感じている。その愛情がすれ違ってすれ違って、最後に悲しい結末を迎える話ですからね。ジェルソミーナがザンパノの愛情を欲している時はザンパノは彼女を虐待する。ジェルソミーナの気持ちが綱渡りに向かい、ザンパノが綱渡りを殴り殺してしまう。ザンパノはジェルソミーナに対する愛情を少しずつ感じ始めるのですが、その時はすでにジェルソミーナは気がふれてしまっている。すごく切ない二人の関係です。

オイカワ 男女が好きだの惚れたのという意味での恋愛映画じゃなくって、人間としてのもっと根源的な感情に基づいた恋愛映画なわけですね。

bellbell そこの点で普遍の愛、母性といった見かたができると思います。最初と最後は海のシーンです。海=母 といった解釈もあるでしょうね。

オイカワ うーん、深い。それは全くぼくには無い視点だなあ。bellさん、相当入れ込んでいろいろなこと考えたんじゃないですか?

bellbell まだそれほどでもないんですけど、今回見直して、ロケーションの良さに気づきました。あとウロウロしている子供とかいいです。すごく自然な感じでジェルソミーナを取り巻くんですね。ここらへんももしかしたら母性を強調した演出かもしれません。

オイカワ ああ、それはきっとそうだよ。それか、ぼくの文脈で言うと、子供がちょっと面白い子供にくっついて歩く感じか。ロケの良さっていうのは、言われればそうだったような気がする。

bellbell 「道」って題名ですから当然道は出てくるんですけど、ゴツゴツした乾いた感じの道を荷物を満載したオート三輪みたいなバイクがガタガタ走っていく。この道を行く孤独な二人の存在が、すごく物悲しく寂しく感じられるんです。

オイカワ そうですね。バイクでの移動のシーンは印象深いですね。「道」に限らずフェリーニの映画は全体的に最近見てなかったんですよ。フェリーニであえてこの一本は?と聞かれたら、やっぱり「道」になりますか?

bellbell フェリーニ、私は「アマルコルド」です。どのシーンとっても最高にきれいで面白くて懐かしくて切ない。幻想的でありながらノスタルジック。「8 1/2」も「甘い生活」も好きですけどね。

オイカワ あ、ほぼ一緒だ。ぼくは一本なら「甘い生活」かも。「8 1/2」はもちろん傑作だけど、「アマルコルド」、あれ最高に面白いですよね。

bellbell 映画の中で四季を感じられるところも好きです。人工的なのですが、こんな映画を頭の中で作り上げてしまうフェリーニ、ほんとうにすごいなぁーって思います。

オイカワ 音楽も忘れられないな「アマルコルド」は。今でも時々頭の中でメロディー流れるときがある。フェリーニといえばニーノ・ロータの音楽抜きには考えられないよねえ。

bellbell そうですね。この「道」も「ジェルソミーナ」って曲が有名で。ロータの旋律とフェリーニの幻想的なイメージの映画、ワンセットですね。あ、あとマストロヤンニもセットに入れてもいいかもしれません。

オイカワ そうだねえ。もっともマストロヤンニはとにかく色んな映画に出てるからねえ。でも、やっぱりフェリーニの映画に出たときの印象が強烈だよね。

bellbell フェリーニが自己投影したのがマストロヤンニの役だとよく言われますが、そういう俳優と映画を作れたことはラッキーなんでしょうね。特にマストロヤンニはあまり演技を演技と思わせない俳優ですし、フェリーニのカラーとよくマッチしたと思います。

オイカワ そうですね。合ってますよ。逆にマストロヤンニにとってもフェリーニの映画に出ることで世界的になったわけで、ラッキーだったと思います。マストロヤンニがその後、凄い監督と組みまくって仕事するきっかけになったのはフェリーニでしょうから。

bellbell そうですね。マストロヤンニ、今回のこの ”泣ける恋愛映画” ってテーマで絶対1本入れてやるって思っていたんですけど、オイカワさんに 「白夜」 を取られたので(笑)、それならばまだいい映画があると思って「特別な一日」にしたわけです。

オイカワ ぼくも「特別な一日」は最初のピックアップの時、入れてたよ。

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“妻”と“女”の間で揺れる…「特別な一日」

bellbell 好きですねぇ、「特別な一日」。

オイカワ そうでしょう、そうでしょう。ぼくも好きですね、この映画。

bellbell マストロヤンニの押さえめな演技がいいんですよんね。ソフィア・ローレンの熱演を受ける演技、というのかな。

オイカワ この2人も名コンビですよね。

bellbell あえて定番の「ひまわり」ははずして、こっちを選ぶ選択もあると思うんです。

オイカワ そうですね。実は「ひまわり」も好きなんですけど、この「特別な一日」はまたなんとも言えずいい感じのメロドラマだと思うんですよ。マストロヤンニはコンビを組む名人ですねえ。フェリーニといい、ソフィア・ローレンといい。

bellbell 多分”受ける”演技が上手い人だと思うんですよね。相手に合わせつつ、自分のカラーを失わない・・・。この映画も設定としては辛いものなのですが、彼が演じると辛い状況は伝わってくるけど、それが前面に押し出されない。そういう点でソフィア・ローレンも気づかずに、彼に恋してしまうと思うんですよね。

オイカワ そうですね。ぼくがマストロヤンニいいなあと思うのは、明るさや無邪気さですね。いい年こいて、無邪気だけということはありえないんで、この作品もそうですが、実はかなり深刻なものを抱えていながら、そういうものを前面に出さない。明るいんですね、一見。でもその裏にあるものをサラリと感じさせる。

bellbell 最初の登場するシーンはやたら暗いんですけどね。ソフィア・ローレンと絡みだすとちょっとテンポが変わるんですね。孤独な人間を演じていても何か人を惹きつける魅力はあるし、本人も人とのかかわりを絶てない人種、みたいな・・・。私が映画を観る時、人間そのものに興味があるのでマストロヤンニみたいな役者は大好きなんです。

オイカワ おそらく、本人のパーソナリティが画面に映ってしまうタイプの役者なんでしょうね。いろんな役柄を演じても、最終的にはマストロヤンニ本人でしかあり得ないようなね。

bellbell そんな中でも監督の意図に沿ってキャラクターに説得力を持たせていく。まあ、彼の存在だけで映画が作られてしまうようなところもあるんでしょうがね。この「特別な一日」もゲイの元アナウンサーが欲求不満気味の中年主婦と関わってしまう、とっても難しい役どころなのですが、観ていると双方の気持ちを痛いほど感じる映画です。

オイカワ この人物設定、かなりあざといじゃないですか。ところが、見てるうちにそれを忘れるんですよ。主役2人の力はもちろんのこと、演出の力も感じましたねえ。

bellbell 確かにあざとく作れば昼メロ並みなおおげさな映画になりますよね。でもディテールに対するこだわりも感じますね。最初に逃げ出す九官鳥は、ソフィア・ローレンの男性に対する欲求の象徴だってことに気づきました。この映画自体はソフィア・ローレンの映画だと思います。

オイカワ 九官鳥を何かの象徴として描く手法自体は、ぼくはかなり古くさい手法だと思うんだけど、それが気にならない。ヘタすると恥ずかしいものになりかねないじゃないですか。でも、それをどう見せるかというレベルで、いろいろと考えた演出をしてるんですよね。で、この映画は確かに、ソフィア・ローレンの映画だと思いますね。中年の女性をああいう形でメロドラマのヒロインとして遇することができるのがいいですよね。

bellbell 彼女の表情の変化で物語を追える展開になっているんですよね。やっぱり、洗濯物がたくさん干してある屋上での二人のやり取り・・・。短い時間、限定された場所なのですが、ほかに例を思いつかないくらい、”良い妻であること” と ”女としての幸せ” の二つの欲求の間で葛藤する中年女性がよく描かれていると思いました。

オイカワ シンパシー感じたりします? 誘導尋問だけど(笑)

bellbell マストロヤンニのような魅力的男性を目の前にして、という限定された条件下においてならば。 (笑)

オイカワ 模範的回答ですなあ(笑)。でも、こういう中年の男女のラブストーリーは、なかなか今の日本でお目にかかれないじゃないですか。その気になればできると思うんですけどね。

bellbell うーん、先入観あるかもしれませんが、邦画の不倫ものはダラダラグズグズ系が多くないですか?この「特別な一日」は結局二人の意思とは関係なく突然の別れを迎える。この結末によりいっそう切なさを感じるんですよね。あのまま続いていたらどうなっていたのかなって思うような、危うい不安定なバランスのまま。

オイカワ というか、ダラダラグズグズ系すら最近ないですよ。ダラダラグズグズ系でいいから見せてくれよと思いますよ。確かに、二人の意思とは関係なく別れを迎えるってところは重要でしょうね。ドラマに深みが出てますよね。

bellbell 窓際でマストロヤンニが貸してくれた「三銃士」をローレンが読み出すんですよね。一度は ”本を読む時間なんてないから” って断ったけど、押し付けられて。で、本を読む=彼に対する想い みたいな感じで落ち着いたいいシーンなんですけど、ふと目を上げたときに男たちに連れられて部屋を出て行くマストロヤンニの姿を発見する・・・。この時の彼女の表情がなんともいえないですねえ。

オイカワ いいですねえ。思い出しましたよ。あざとい設定ながらあざとさを感じないのは、ああいうところの積み重ねだと思うんですよ。この作品、舞台となるアパートがまたいいでしょ? ちょっとヒッチコックの「裏窓」を思い出させるようなね。まあ、ヒッチコックのような狂気は無いんですけどね。冒頭のソフィア・ローレン一家の朝の光景を一筆書きのような、ワンシーンワンカットで見せるあたりもいいですよね。

bellbell 最初に独伊協定調印のニュースフィルムで始まって、アパートも家族も興奮して舞い上がっているんですけど、そんな中、おかあさんだけは黙々といつもと同じように家事をこなしていくんですね。テーブルの片付け方の手際もなかなかいいんです (笑)。こういうところにイタリア映画の、特に女性の力強さ、たくましさみたいのを感じます。

オイカワ ちょっと話変りますが、クリント・イーストウッドが監督した「マディソン郡の橋」は見てますか?

bellbell 観ましたよ。メリル・ストリープですよね。

オイカワ あの、メリル・ストリープがね、「特別な一日」かどうかはわからないけど、ソフィア・ローレンの映画を見て勉強したんじゃないかと踏んでるんですよ。

bellbell あ、なるほどね。メリル・ストリープっていい女優だと思うんですけど、なかなか生活感のある役どころってうまく出せない人だと思ってました。シリアスでもギャグっぽくなっちゃうみたいなね。

オイカワ ですよね。テクニシャンだと思うけど、あんまり好きじゃなかった。でも「マディソン郡の橋」のメリル・ストリープは良かったんですよ。彼女、ものすごく勉強や研究しそうな感じするじゃないですか(笑)。ソフィア・ローレンを参考書にしたな、と。

bellbell どんな汚れ役やっても、顔つきがなんだか上品なんでね、彼女。この「特別な一日」のローレンは、生活に疲れた顔しているけど、目の奥に眠っている情熱を感じるような中年女性。女性の潜在意識を具現化した役なのでしょうかね。 (笑)

オイカワ さすが、鋭いですねえ。やっぱり、あの目がただことじゃなさをかもし出してるんですね。"ザ・女”っていう感じですよね。あ、“ジ・女”か(笑)。

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恋と逃亡を経て“ジ・女”に変身…「近松物語」

bellbell オイカワさんの選んだ映画の中に「浮雲」以外に ”不倫もの” ってありましたっけ?

オイカワ 溝口健二の「近松物語」がもろ“不倫もの”ですね。

bellbell あ、そうなんですか。私観ていないんですよ。

オイカワ これ、いいですよー。見てくださいよ。溝口は天才だと思いますね。今年は生誕100周年で、小津の露出が多いですが、溝口を忘れてもらっちゃ困りますねえ(笑)。いや、もちろん小津も凄いんですよ。でも、溝口健二も凄いんです。カビラ兄弟みたいになってきましたが(笑)

bellbell 彼の映画は ”芸術作品” ですね。で、ドロドロの不倫ものですか?

オイカワ ドロドロっていう感じではないですけどね。主役は長谷川一夫と香川京子です。でかい商家の若い後家さんが香川京子で、その商家の仕事ができる手代が長谷川一夫。香川京子の兄貴がだらしない奴で、金の不始末を金持ちに嫁いだ妹に押し付ける。彼女は最初、ダンナに相談するんだけど、ダンナはケチクソ野郎なんですね。それで、困って、手代の長谷川一夫に相談する。彼は、ご主人に忠実な男で、内儀から困ってると相談されては見過ごせない。

bellbell 義理から始まるのですか。で、香川京子がモーションかけるので?

オイカワ 完全に義理から始まります。どっちかがモーションかけるというのはね、これは無かったと思いますね。偶然やアクシデントなどが積み重なって、突然・・・という感じです。運命っていう位置付けなのかもね。打ち明けるのは、長谷川一夫からですね、確か。

bellbell 溝口ですからね。下世話なエピソードはないんでしょうね。 (笑)

オイカワ 周辺にいる人間、特に進藤英太郎演じる香川京子のダンナは、これ以上ないほど下世話ですよ。でも、主人公の2人の関係は驚くほど清潔です。

bellbell で、好き合った二人はどうなるんでしょうか?

オイカワ 逃げます。あ、違う。まず、いろんな偶然やアクシデントの結果、不義密通と騒がれてやむを得ず2人で逃げる。この時代だから不義密通は命がけ、しかも、内儀と手代ですからね。で、逃げる途中で、琵琶湖に小船を出すところがあるんですけど、この船の上で、長谷川一夫が香川京子に打ち明けるんですね。このシーンは絶品です。2人は、この小船の上で内儀と手代という関係からセクシャルな関係になるんですが、このシーン、懇切丁寧なカット割や、説明的かつ心理的な演出に慣れた人には、何がどうなってるのかわからないかもしれない。

bellbell なるほどー、緊張感あるシーンですね。

オイカワ それで、そのあと役人につかまってしまう。不義密通者を出すと、お家取り潰しになるから、進藤英太郎はなんとか香川京子と和解しようと必死になります。だけど、彼女は拒否するんですね。

bellbell 長谷川一夫に対する愛情からですか。そこらへんの純真さはいいですねー。

オイカワ 純真さだけじゃなくて、女の意地もありますね。そこに感動しましたね。香川京子のキッパリとした表情に。

bellbell 溝口健二の映画の女性はみんなとてもキレイですよね。

オイカワ 凄みがあるんですよ。香川京子も最初は、まあ、言ってみればお人形さんのような感じなんです。だけど、途中から変ってくるんですよ。逃亡の旅と恋を経て、お人形さんから“ジ・女”へと(笑)変貌するんですね。この恋が偶発的なものだったとしても、それを運命として受け入れた上で、女の意地を貫き通して、ダンナをきっぱり拒絶する。みごとな女っぷりです。ホレボレしますよ。

bellbell 破滅への道とわかっていてそういう行動を彼女はとるんでしょうか?

オイカワ 破滅という概念が彼女には無いのかもしれない。最後、彼女と長谷川一夫は市中引き回しの上、処刑という運命をたどる。映画は、大衆の面前、2人が刑場へと曳かれるところで終わるんですが、この時の2人の表情が晴れ晴れとして幸福そうなんですよ。実際、野次馬が「見てごらん、死にに行くのに、あの二人の何と晴れ晴れとした顔よ」と言ったりしている。これは凄いと思いましたね。

bellbell すごいですね。二人の気持ちの高潔さが描かれているみたいですねえ。

オイカワ そうですね。鳥肌が立ちましたね、このラストは。死は終わりでもないし、敗北でもない。恋した相手と添い遂げることが意地であり、勝利だ。それを裏切ることこそが敗北なんだ、と。

bellbell そっか。そういう映画なんですね。今この時代、こういう崇高な恋愛を描いた映画を作ることってできると思います?

オイカワ 難しいかもしれないな。何か、特殊な仕掛けや設定が必要でしょうね。

bellbell 映像的に技巧に走ったりしますしね。単純なストーリーだと特に。

オイカワ そうですよね。ひとつ危惧していることがあって、それは今後、溝口の凄さを伝え続けることって難しいんじゃないか、ということです。溝口のスタイルというか、映像言語は非常に特殊なんですよね。ミュージックビデオなどPV的な映像に慣れてしまった若い世代が、溝口の語り口を見てすんなり理解できるとは思えない。この魅力を伝えるための踏み台になろうかなと悲壮な決意をしております(笑)。そこまで悲観的になる必要もないんだろうけどね。

bellbell 小津や黒澤に比べると観てはっきりわかるスタイルはないですよね?

オイカワ いや、ぼくはスタイルはっきりしてると思いますよ。溝口の作品はひと目見れば判別つきますよ。小津と並んで特異なスタイルを持ってる人だと思います。

bellbell 私溝口はあんまり観ていないんですよね。「雨月物語」とかは観ましたが。

オイカワ 溝口見てください、お願いしまーす(笑)。「雨月物語」もすごいけれど、今、「近松物語」そして「西鶴一代女」を見たら、きっと驚くと思うな。

bellbell そうですね、観る機会があんまりなかったもので。是非まとめて観たいと思います。

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精神的な普遍の愛を信じてる男…「デッドゾーン」

オイカワ 今回のテーマで、bellさんが選んだもので、一番びっくりしたのは、「デッドゾーン」ですねえ。

bellbell クローネンバーグ1本選ぼうと思ってたんです。どうしてもね。 (笑)

オイカワ クロネンバーグの中では泣ける部類の作品だとは思うけど、恋愛映画とは思わなかった。

bellbell シンプルに考えると 「ザ・フライ」 が一番このテーマにピッタリくるんですけど、「デッドゾーン」は原作も好きだったのでつい選んでしまいました。原作はキングですからもっとコト細かにどうでもいいようなことまでつらつら書かれているんですが、恋人との関係なんか切なくてね。映画もコンパクトによくまとめてあると思いました。

オイカワ 恋人って、ブルック・アダムスが演じてた?

bellbell そうです。彼女って独特の存在感があるんですよね。今回「天国の日々」もちょっと考えたのですが、この映画にも彼女出ています。

オイカワ ぼく、一時期ちょっと好きでしたよ。スティーヴン・キングって、凄い数、映画化されてるよねえ。一番最初ってなんだろう。「キャリー」かな。

bellbell そうですね。「キャリー」かな。キングの映画って今ひとつなのですが、このクローネンバーグが監督した「デッドゾーン」はキング原作の中でも好きな作品です。またクローネンバーグもこの時期は”異形の愛” をテーマにした特異なホラー映画作っていましたから。 

オイカワ 「スキャナーズ」「ヴィデオドローム」と同じような時期ですよね。

bellbell そうですね、あと「ザ・ブルード/怒りのメタファー」なども異質な人間の愛情がテーマになっていて、その怒りや苦しみ、哀しみなどを丹念に描いていてすごく好きです。で、クローネンバーグを入れたかったんですね。

オイカワ あ、「ザ・ブルード〜」は見てないや。クローネンバーグって文学好きなんですかね。バラードやバロウズ映画化するのって、ある意味すごいチャレンジャーだよね。bellさん、HPで書いてたけど「誘う女」には役者で出てるしね。なんか、変な人だよなー。異質な人間の愛情を描くというのは、広い意味では恋愛映画と言えるでしょうね。

bellbell 彼は文学にも相当傾倒しています。ナボコフなんか大好きだったんじゃないかな。彼の特徴は人間の魂と肉体を切り離して考えている点だと思います。肉体を伴わない精神的な愛情の重要性を説いているように思えますね。

オイカワ そのあたり今ひとつイメージがつかめないんだけど、もうちょっと具体的に教えてもらえませんか?

bellbell 「ザ・フライ」が一番分かりやすいと思うんですけど、ハエ男になったジェフ・ゴールドブラムは超人的な体力を持つようになって、精力も絶倫になる。しかし肉体は醜く朽ちていく。人間性も失っていく。そんな過程の中で愛情だけは失わずにいるんですね。クローネンバーグという人は人間の肉体自体には強い恐怖感を持っているけど、実は精神的な普遍の愛を信じているようなロマンティストではないかって、勝手に私考えているんです。

オイカワ なるほど。そういうことか。肉体への恐怖心、というか、肉体に対して確固たるリアリティを感じられない人という気も若干するなあ。それか、あって当たり前のように考えられている肉体への懐疑かな。そこで浮上してくるのが、ロマンティシズムというのは十分あり得る考え方でしょうね。キリスト教的なバックボーンも感じますね。

bellbell そうかもしれないですね。目で見て肌で感じられる肉体を醜く変形させるのが彼のお得意だったのですが、その内にある魂は様々な感情に満たされていて、見ていてあわれなんですけどね。「デッドゾーン」はグロではないですが、あのラストシーンに普遍の愛を感じることのできる素敵な映画でした。

オイカワ このラストは泣けますよね。ぼくは原作読んでないんですが、原作と同じですか?

bellbell 読み返してないので不確かですけど、大筋は同じだったと思います。クリストファー・ウォーケンは今でこそあんなですが、この映画では静かに深く悩む超能力者を演じていて、すごく良かったですよね。

オイカワ 良かったですね。今じゃ怪優ですからね。見た目は怪異なところが当時からありましたが、そういうところも含めてこの役柄は合ってましたよね。ホントに超能力持ってそうな感じ。あれは何色なんだろう、目の色。あの目がすごく生きてましたね。色んなものを見てしまった人間の哀しみっていうんですかね、そういうのが、すごくよく出てた。

bellbell そうそう。なんか目が透き通った感じで、ガラス玉みたいなんですよね。ちょっと人間離れしたような。で、ブルック・アダムスがえらく庶民的な顔立ちで、ミスマッチな感じもするんだけど、悲劇的なストーリーにより一層色を添えてるってところでしょうかね。

オイカワ 悪い大統領候補をマーティン・シーンが演じてませんでした?

bellbell そうなんです。今観るとTVドラマの「ホワイトハウス」の大統領役とかぶって笑えるんですけどね。

オイカワ あははは。さっきラストが原作通りか聞いたのは、このオチってすごくキング的なオチじゃないですか。なんとなく、ぼくの中ではクローネンバーグのイメージと合ってないオチだったんです。クローネンバーグはこんないい人じゃないぞって(笑)。だけど、bellさんから、精神的に普遍の愛を信じている説を聞いて、なるほどズバピタだったのかと。

bellbell そういえばあんまりクローネンバーグらしくないオチかも。彼の死後の状況をラストの一瞬で説明しちゃって、最愛の恋人に見取られて死ぬ。うまくできてましたね。

オイカワ うん、いかにもキングらしいオチでしょ。でもクロネンバーグが人類愛を信じているわけがないと思ってたから、違和感あったんです、勝手な決め付けだけど(笑)。

bellbell いえ、最近のクローネンバーグの一連の作品観ていると、私の考えも勝手なきめ付けにも思えるんですが・・・。 (笑)

オイカワ そうですか。最新作は見てないです。「クラッシュ」は見ましたけど。ぼくはそんなに小説は読まないんですけど、「クラッシュ」の原作のJ・G・バラードには一時期ちょっと凝ったことがありまして。さっきも言ったように、これを映画化するのはチャレンジャーだなあと感心してました。

bellbell 私も「裸のランチ」、原作読んでから観ようと思っていたのですが、いつも原作4ページぐらい読んで挫折。で、いまだに観ていないんですが・・・。 (笑)

オイカワ あれ、ちゃんと読んだ人いるんですかね(笑)。あ、クローネンバーグは読んだんだろうな、ちゃんと。マジメだな。「イグジステンズ」ってどうなんですか?

bellbell ジュード・ロウかっこいいです。・・・その程度なんですが (笑)。ちょっとずるい展開でした。面白いシーンはあるんですけどね、食べ残しの骨で銃作っちゃうところとか。

オイカワ やっぱり変な人だよ(笑)。ヒロインはジェニファー・ジェーソン・リーですよね。

bellbell そう。まあこんな役はお手の物って感じですよね、彼女。もともと彼の初期の作品もそうだったんですけど、観念的で哲学的な傾向の映画が多くなってきて、ちょっと寂しい感じがします。

オイカワ この映画のCMをテレビで見たとき、一瞬、ポール・ヴァーホーベンの映画かと勘違いしましたが。より観念的になっているのなら、ヴァーホーベンの映画であるわけがない(笑)。

bellbell ヴァーホーベンが「イグジステンス2」作ったら面白いでしょうねえ。完全にイッちゃってます・・・。

オイカワ むしろそっちを見たいかも(笑)。

bellbell いつか彼の映画も取り上げたいですね。 (笑)

オイカワ ぜひとも。トークの第一希望は「スターシップ・トゥルーパーズ」です(笑)。

bellbell あれすごい映画ですからねえ。本気かな?って心配になるくらい・・・。

オイカワ 微妙ですよー、あれは。子供には見せられませんよ。

bellbell ですねえ。子供は勘違しますね。

オイカワ ええ、マジになられても困りますからね。

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すれ違いは恋愛映画に不可欠…「町でいちばんの美人/ありきたりな狂気の物語」

bellbell えーっと、私が気になっていたのが、マルコ・フェレーリなんですけど、この映画観ていないんです。

オイカワ 「町でいちばんの美人/ありきたりな狂気の物語」ですね。これ以外のマルコ・フェレーリは何か見てます?

bellbell 「ひきしお」と「最後の晩餐」、「バイバイ・モンキー/コーネリアスの夢」です。マルチェロ・マストロヤンニ関係で「ひきしお」もちょっと考えましたが、この監督のイメージから、やや選びにくかったところがありまして。

オイカワ おーっ、見てますね!「最後の晩餐」まで。感激です。ぼくマルコ・フェレーリ大好きなんですよー。フェレーリは、もう最初から確信犯的に入れようと考えてました。もちろん「ひきしお」も考えたけど、女優の差で「ありきたりな狂気の物語」に軍配をあげました。ドヌーヴが劣るというわけではなくって、単にオルネラ・ムーティ命!というだけなんですが(笑)。

bellbell オルネラ・ムーティ、知らない女優さんです(笑)この監督、ブニュエルよりはグロテスクではないけど、変わったシチュエーションが好きそうですよね。

オイカワ そうですね。人間の本能や根源的な部分にスポットライトを当てて撮る人だと思いますね。ぼくは、自分のHPで“下半身から人間を捉える姿勢に思わず襟を正す”と書きましたが(笑)。

bellbell このフェレーリ監督・・・、モロ下半身、下ネタ、アブノーマル、倒錯・・・系じゃないでしょうか?嫌いじゃないんですけど、そこから単純な意味での恋愛って感情を見出すのって、映画経験の浅い方には難しいでしょうね。 (笑)

オイカワ 全然否定しませんよ(笑)。「最後の晩餐」に関しては、人に薦めて思いっきり嫌がられたことありますから。それで、しばらく人に薦めないことにしてたんですが、自主映画作家のおもてとしひこ氏と飲んだときに、チラッと話をしたら彼が見たらしいんです。そしたら、「こういう映画は、まっさきにぼくに薦めてくれないと困りますねえ」と叱られました(笑)。生理的に受け付けない人がいるのはわかります。そこをちょっとガマンして、無心に見てもらえば、必ず何かを感じ取れる作品だと思うんですけどね。

bellbell 「最後の晩餐」、映画の好きな人に薦めて、そのリアクションを見てみたい映画だと思いますよ

オイカワ bellさんはどうですか? ああ、聞くのが怖い〜(笑)。

bellbell 私はこういう映画は嫌いじゃないっす (笑)。この人の映画って、基本的に無邪気な好奇心だと思うんですよね。ブニュエルのような後味の悪い不気味さがない分、人間誰しも持っている好奇心にサラっと触れるような感覚とでもいうのかなぁ。

オイカワ 無邪気な好奇心という印象は、ぼくは受けなかったけど、不気味さは確かに無いね。あんまりひねくれてない。人間不信から来るような底意地の悪さみたいなものは無いんですよ。だから、「最後の晩餐」も見終わった後に感じるのは、なんともいえない寂寥感というか、哀しみというか。

bellbell 確かに、フェリーニの「甘い生活」のような ”宴の後”的な寂寥感てのがあるんですよね。そのラストシーンでどんな思いを持つのかを観客に任せるって映画ですよね。これも帝政ローマの興亡という歴史を持つイタリアという国の映画ならではってことなんでしょうかねぇ・・・。

オイカワ 「町でいちばんの美女/ありきたりな狂気の物語」は、原作はチャールズ・ブコウスキーの有名な短編小説で、舞台はロサンゼルスなんですが、間違いなくヨーロッパ人の視点で描かれてます。

bellbell ベン・ギャザラが出てるみたいですね。「刑事コロンボ」とかで見たことあるんですけど、この人。

オイカワ そうです。ピーター・フォークの親友なんですよ。ジョン・カサベテスのラインです。この映画のベン・ギャザラは非常にいいんですけど、これ、舞台がヨーロッパだったら、フェレーリはまちがいなくマストロヤンニを使ったと思います。

bellbell フェレーリは一時アメリカで撮っていた時期があるってことなんでしょうか?

オイカワ いや、この「ありきたりな狂気の物語」の主人公のアル中詩人は、ブコウスキー自身をモデルにしてるんです。マストロヤンニをアメリカ人という設定にするのはさすがに無理がありますからね。

bellbell そういえば 「バイバイ・モンキー」は、マンハッタンが舞台でマストロヤンニやジェラール・ドバリュデューが出ていましたが、ニューヨークの異邦人って設定でした。この「ありきたりな・・・」はラブ・ストーリーなんでしょうか?

オイカワ ええ、なんのひねりもなくラブ・ストーリーだと断言します。アル中詩人と自傷癖のある娼婦との哀しいラブ・ストーリーですね。2人の出会いや、その後の関係は、決してノーマルなものではないですが、ベースになっているのは、堕ちるところまで堕ちた男女のさびしくやるせない交流、すれ違い、そして突然の別れ、とオーソドックスな構造を持ってます。

bellbell あー、都会の男女の孤独な匂いがしますねー。

オイカワ でも“都会的”ではないんだよね。都会の片隅のゴミの中という感じ。

bellbell アル中詩人というのはヒッピー世代なんでしょうか?

オイカワ もっと上かな。ヒッピー世代の兄貴みたいな位置付け。

bellbell あー、なるほど。で、彼はその娼婦と付き合うことで内面的になにか変わっていくんでしょうか?

オイカワ 内面的にはなんら変らない。むしろ、内面を変えるのを怖れて逃げる。いろいろ大胆なことをやってるけど、本当は傷つくのを怖れて酒に溺れて現実を見ないようにしているデリケートな男です。彼女の自傷癖を受け止められなくて、逃げるように彼女のもとを離れるんです。で、結果的には、その行動が彼女との別れにつながる。女は、彼に対して、客以上のものを求めていたんですね。どこかで、自分を救ってくれるんじゃないかというようなね。

bellbell そういう感情のすれ違いって、悲しいですよね。でも切ない恋愛映画には不可欠の要素かもしれませんね。男も自分では気づいていなかったけど女のことを愛していたって、失ってからわかるんでしょうか?

オイカワ ズバリです。失ったものの大きさに初めて気付いてボロボロになるんですね。行き倒れになるまで飲む。だから、表現の仕方は違っても、フェリーニの「道」のザンパノの慟哭と一緒です。それから、成瀬の「浮雲」のラスト、高峰秀子の亡骸を前にして、冷酷だった森雅之が嗚咽をあげるところも一緒。bellさんが言うように“すれ違い”は恋愛映画に不可欠っす。

bellbell 観ている側もそのもどかしさを承知しつつ、カタルシスに浸るっていうのもいいんじゃないでしょうかね。

オイカワ そうですねー。それから、この映画の見所をもう1点だけ言わせてもらうと、娼婦役のオルネラ・ムーティのアップの美しさ。主人公やヒロインをどれだけ美しく撮るかというのが恋愛映画には必須だと思うんですよ。この映画は、かなりエグいシーンやセックスシーンも出てくるし、背景になってるのは絵にならないロスの裏町ではあるけれど、オルネラ・ムーティのアップだけは、まるで30〜40年代のハリウッド製メロドラマを見てる気になるような画面なんですよ。ほとんど時代錯誤的というか、時代を超越しちゃってるようなアップの美しさに胸を打たれました。

bellbell へえー、「ひきしお」のドヌーヴもキレイだと思ってましたが、この監督は結構女性に対する審美眼があるのかもしれませんね。勝手な思い入れと言ってもいいのかもしれないけど。

オイカワ 勝手な思い入れなくして、ヒロインを美しくは撮れないってことですね。

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これに比べりゃ「タイタニック」なんて…「ドクトル・ジバゴ」

オイカワ ヒロインでいえば、ぼくは「ドクトル・ジバゴ」のジュリー・クリスティはけっこう好きでしたね。デヴィッド・リーンは勝手な思い入れとは無縁な感じがするけど、「ライアンの娘」とか、あの癖のある顔のサラ・マイルズから妙な色気を引き出してたり、不思議な監督だなあ。

bellbell こないだ「ドクトル・ジバゴ」のビデオ借りたら、後ろにメイキングが入ってたんです。そしたら当初、ラーラはソフィア・ローレンがキャスティングされてたそうなんですよ。製作がだんなさんのカルロ・ポンティだったからですが。

オイカワ ああ、なるほどね。それもありだな。というか、もしかしたらジュリー・クリスティよりロシア人っぽいかもしれないな骨格的には(笑)。

bellbell いや、関係者によるとリーンがローレンは 「ロシア人らしくない!」 ってことで頑固にクリスティを推したらしいです。あと、オマー・シャリフもアラブ系な顔をロシア人らしく見せようって事で、生え際の髪を抜いたり、目を吊り上げたり、相当努力したって言っていました。 (笑)

オイカワ オマー・シャリフはロシア人にもいそうじゃない。スターリンとか、ブレジネフとかさ(笑)。

bellbell シャリフはやっぱり「アラビアのロレンス」のイメージが強すぎたんでしょうね。私がこの映画を推す理由を言いたいんですが、オイカワさんはこの映画はどうですか?

オイカワ 相当昔に見たんですよ、これは。ぼく、大河ドラマ系大好きな時期あって、今でも基本的には好きなんだけど、ひとつ難点は長いのがキツくなってきた(笑)。だから観直すのに覚悟がいる。デヴィッド・リーンは「戦場にかける橋」以降全部長いですよねえ。でも「ドクトル・ジバゴ」はストーリー的には好きです。まず、歴史があって、歴史に翻弄される人間たちのドラマがあって、そこには当然、恋愛もある。激しいドラマの後に、“何年後・・・”みたいなオチが大好きなんです。ベルトルッチの「1900年」とかね。

bellbell 私もずいぶん昔にこの映画を観てとても気に入ったんですが、その何年か後に一時ロシア文学にハマった時期があったんです。ドストエフスキーやトルストイ、ゴーリキーやソルジェニーツィンなんかを拾い読みしていて、 ”あ、そうだ 「ジバゴ」読んでみるかな” って何気なく読み始めたのですが、原作はとても奥が深くて政治的な話や歴史的な事実などがたっくさん出てくるんですね。で、読み終わったあと、映画 「ドクトル・ジバゴ」をこんなラブ・ストーリーに作り上げたリーンってすごい監督だーってすごく感心したんです。

オイカワ 「ジバゴ」は、なんて作家が書いてるんですか?一般的にロシア文学って巨大じゃないですか、デカい胃袋じゃないと消化できなさそうっていうのかな。「ジバゴ」の脚色はロバート・ボルトですよね。この人は「アラビアのロレンス」でT・E・ロレンスの自伝から、あんなドラマチックなストーリーを再構築した人だから。チーム・リーンは優秀なスタッフを揃えてるんですよ。

bellbell 原作者のパステルナークはノーベル文学賞を受けたんですが、受賞のためにソ連を出国するともう国には戻れないということを知っていたので賞を辞退した詩人兼作家です。この映画「ジバゴ」はあらゆる点でできる限りの娯楽映画の贅を尽くしている感じですね。脚本もそうだし、キャスト、美術、衣装。どれをとってもリーンの映画監督としてのトータルな物の考え方が表れているようですごく映画に浸れます。この映画を観たら「タイタニック」は30分で終わらせなきゃいけない映画だったってことがわかります。それくらいこの映画の内容は濃くて完全だと思います。どうしても「タイタニック」に感動した人にこの映画を観てもらいたくて挙げました。 (笑)

オイカワ パチパチパチ(拍手)。素晴らしい。全面的に賛同します。「タイタニック」はムダに長い。なんであんな長さが必要なのかさっぱりわからない。映画「ジバゴ」も長いけど、物語上の期間が全然長いですからね。30年間くらいの話じゃないですかね?

bellbell そうですね、ジバゴが医学生だった時から話が始まるんですが、運命の女性ラーラとの邂逅まで驚くほど時間がかかるんです。いろいろすれ違うことがあるんですが、お互い相手をはっきり認識するまでいろんなエピソードが積み重ねられる。必要だと思われる背景を前半で二人の絡みなしに全部説明するんですね。それでいて観ているものを飽きさせることなく、ジバゴとラーラの恋愛へと話を持っていく。「タイタニック」が始まってすぐに ”まだ沈まないのかなぁー” って思ったのとはエラい違いです。

オイカワ そういう厚みがある展開がスケールの大きさを醸し出すんだよな。「タイタニック」は沈むのがクライマックスって分かりきってるのに、物語的な工夫もあんまりなくて引っ張るからねえ。

bellbell 「ジバゴ」では主人公二人以外の登場人物たちの個性もすごく厚く描かれてますね。ジバゴの奥さんのジェラルディン・チャップリンもいい感じだし、ラーラのだんなさん、トム・コートネイの波乱万丈な生き方も面白い。ラーラの愛人ロッド・スタイガーは憎憎しい役だけど最後にいいとこ取りするし、狂言回し役のアレック・ギネスがまたクールで不気味。ほんと面白いドラマです。

オイカワ どの人物もしっかりきっちりキャラクターが描かれてたんですね。bellさん、総合点、かなり高そうですね。

bellbell 最初に観た時の印象が強かったんだと思いますね。今回見直して気づいたことは、ジバゴ自身はこれといった人物でないように描かれていることです。歴史の傍観者であり当事者だけど主役ではない。そんな展開の中で、良い奥さんがありながらラーラとの恋に落ちるジバゴという人間に、人間の弱さとはかなさを感じましたね。

オイカワ ああ、なるほど。ぼく、はっきり思い出せないんで聞くんですが、ジバゴがラーラと恋に落ちることに説得力を感じましたか?。

bellbell ラーラが愛人ロッド・スタイガーをパーティで撃って、その場にジバゴは居合わせた。それまでも二人のすれ違うシーンがいくつかあるんですが、そんなこんなで戦地において二人が一緒に働いて初めて愛情が芽生える。確かに家で待っている奥さんはかわいそうだと思うのですが、ジバゴもラーラもとても生きることに純真な人間として描かれているので、後ろめたくは描かれていません。必然的な自然な感情のように思いました。

オイカワ そうですか。今、「ジバゴ」の話をしながら、ほかの大河ドラマ系映画のことを思い出していたんですよ。ぼくが面白いと思う大河ドラマの条件としては、まず大きな時代の流れと登場人物がきっちりシンクロしてること。それで、できれば、主役級の人物たちは、歴史上の有名人ではなくて市井の人たちが望ましい。有名人は脇でサラっと顔を出してポイントを作るのがベスト。それから、クライマックスで激しい対立などのドラマがあり、オチとしては“何年後・・・”というような時の流れを感じさせてくれること。さらに言えば、そのオチの部分で未来につながるような希望を見出せること。注文多過ぎますが。

bellbell ジバゴはまさにそんなラストシーンですね。ジバゴとラーラの忘れ形見である女の子に、党の幹部となった叔父であるギネスがジバゴの詩集を渡す。二人の恋の物語はもう過去の話になっているけど、その余韻を感じる・・・。大きな時代の流れの中で、誰かが誰かを愛するっていう人間の感情、生き様がどんな意味を持つのかなって考えさせられますね。

オイカワ うーん、いいなあ〜。覚悟を決めて、観直そうかな。3時間以上あるよねえ、確かこれ。

bellbell ストーリーがわかっていたら、今度は俳優 (特にロッド・スタイガー) に注目してみるのもいいし、美術もいいですからね。メイキングで知ったんですが、雪の別荘のシーンは真夏のスペインで撮ったそうです。 (笑)

オイカワ あ、これもそうなんだ。60年代ってスペインロケが多かったんですよね。かなり安く済んだらしいですよ、ほかの国でロケするより。あと、モーリス・ジャールの音楽も良かったですよね。大河ドラマ系は音楽が特に大事ですよ。スケール感と甘さを兼ね備えた音楽が絶対必要。それができるのは、モーリス・ジャールとエンニオ・モリコーネですよ。だから、世界的規模の大河ドラマ系映画の音楽は、この2人に集中的に依頼がいくんです。

bellbell そうですね、あと映画の舞台となる地域の民俗音楽なんかもうまくアレンジするんですよね。この映画の場合はバラライカですね。行ったことのない国でも、エキゾチックな音楽でなんとなくその気になる・・・、映画のマジックです。 (笑)

オイカワ ご当地ソング(笑)をうまく盛り込んで雰囲気作ることは、もう映画音楽の鉄則ですから。作曲家の腕の見せ所ですよ。

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男の人生変える年上の女…「君がいた夏」

bellbell 「君がいた夏」と「恋のためらい/フランキーとジョニー」私、観ていない映画なんですが。

オイカワ 「君がいた夏」は、正直、名作、傑作と言う自信はないんです、実は。佳作といったところでしょうか。ただ好きだからという理由だけで入れました。

bellbell これはジョディ・フォスターなんですよね?

オイカワ そうです。前回の刑務所映画で「羊たちの沈黙」の話をした時に、ちょっとだけ触れましたが。この映画でひとつ自信を持って言えるのは、ジョディ・フォスターがとにかく素晴らしいということです。

bellbell どんなあらすじなんでしょう?

オイカワ 年上の女(ひと)映画です。ここだけの話ということで言っちゃうと、ぼくは“年上の女もの”に弱いんです(笑)。最初は、ジェニファー・オニールがとびきり美しかった「おもいでの夏」を選ぼうと考えてました。だけど、意外と知られていない「君がいた夏」をぜひとも紹介したい、この映画のジョディ・フォスターの素晴らしさを知ってもらいたいという一心でこっちを選んじゃった。あらすじは超簡単で、「おもいでの夏」と同じく、年上の女ものの王道パターンっていうんですかね。夏〜海〜年上の女っていう。

bellbell この頃のジョディ・フォスターって、「羊たちの沈黙」の前で、「告発の行方」と同時期、わりと熱心に女優としてのステータスを構築しようとしていたと思われても仕方のないフィルモグラフィーですが、この手の映画に出演していたっていうのがちょっと意外な気もしますね。

オイカワ でしょ。なんでこの映画に出たのかよくわからない。でも、出てくれて本当に感謝してます(笑)。それでも、ジョディ・フォスターを弁護すると、この映画、けっこういいストーリーなんですよ。性に目覚める少年と年上の女、というパターン化されたお話だけじゃない。まず、主人公である挫折した野球選手が、くさった日々を送ってるところから始まる。ある日、母親から電話がきて、彼が少年の頃に憧れていた女性が自殺した、と。この自殺した女性がジョディ・フォスターです。それで、彼女の遺書の中に、自分の遺灰を葬ってほしい人がいる、その人は自分がどこに葬ってほしいのか知っている、というようなことが書いてある。その人というのが主人公なんですね。この主人公とジョディ・フォスターはもう十何年間も会っていないにもかかわらずね。

bellbell あ、いいですねー。そそられます (笑)。この主人公はマーク・ハーモンですね、彼とジョディとの間柄って、どんな関係だったのでしょう?

オイカワ 小学生くらいのころからの付き合いなんですが、最初は近所の面白いお姉ちゃんって感じです。少年にタバコ教えちゃったり、無免許で親の車乗りまわして、その時に助手席に乗せたりね。主人公の家庭は絵に書いたような幸福な家庭なんです。父親と母親が恋人同士みたいに仲良くてね。父親は、主人公が野球選手になりたいっていう夢に凄く理解があって、全面的に応援してくれる。映画の最初の方は、この主人公のファミリーのエピソードと、面白いお姉ちゃんとのわりと愉快なエピソードが中心です。だけど、この父親が交通事故で急死しちゃう。その頃主人公は高校生で、野球推薦で大学進学も決まってる。ジョディ・フォスターは彼を励まそうとする。で、彼はそれまでとは違い、彼女に女を感じ始める。

bellbell その少年の家族との関わり以外に、ジョディの演じる女性は何かバックボーンはあるのでしょうか?

オイカワ そうだ! 重要なこと忘れてた。親戚ですよ、この2人。遠い親戚だか、いとこだかよく覚えてないけど。だから、ものすごく接近するけど一線は越えないんだ、確か。こんな基本的なこと忘れてたよ(笑)。

bellbell ”親戚” ってハードルがあるために、無意識にお互い境界線を超えられない状況にあるってことでしょうか?

オイカワ たぶんそうだと思う。あ、でも一線を越えちゃったという描き方してたような気もしてきた・・・。今回、観直さないで話してるんで、そこは見る人のお楽しみということにしといて(笑)。ただし、2人の関係が濃密になるようなシーンは実際あります。でも、直接的な描写はなかったと思う。2人の間に何かあったとしても、かなりさりげない描き方をしてたはずです。

bellbell なるほど、なんとなく映画のニュアンスは伝わってきます。でも ”年上の女” への想いってって、青春時代の一過性の  ”はやり熱” みたいな扱われ方をすることが多いですよね。この映画もそんな結末なのでしょうか?

オイカワ いや、そこはちょっと違うかもしれないな。マーク・ハーモン演じる現在の主人公は、彼女の死をきっかけに、かつての輝いてた時を思い出す。そして彼女の遺灰を葬ることで、青春時代と決別する。それまでは、あの輝いていた時をひきずっていたんですよ。だから、自分にスポットライトが当たっていない現状に、完全にくさっていた。だけど、もう一度、現実を直視してそれでも野球にかかわっていこうと決意するんです。だから、彼の人生の舵取りをするような存在だったんですね、ジョディは。なんか、こうやって思い出してたら、ものすごくいい映画のような気がしてきた。実は傑作だったりして(笑)。

bellbell 語っているうちにそう思えてくること、ありますよね(笑)。オイカワさんのお話聞いているとすごく情景や情緒が伝わってきます。主人公も、ジョディを ”過去の女性” としてしか現在は思い起こせない点に、切なさを感じる映画なんでしょうね。

オイカワ そうですね。彼は、ジョディに2度救われるんですね。1度目は、父親の死で落ち込んでいたとき、そして2度目は大人になった今。ジョディの自殺の理由がいっさい語られていないことが、すごく切なかったですね。

bellbell それは辛いですよね。自分の知っている以外のところに彼女の人生を感じてしまうっていうのは・・・。でもきっとその神秘性が年下の男の子から見るとまたいいのでしょうか。

オイカワ 彼にとって、彼女は健康的に輝いている記憶しかないんです。だから余計にね・・・。で、記憶の中の輝いてる女を演じるジョディ・フォスターが本当に素晴らしいんですよ。生命感あふれる感じって言うのかなあ。ぼくにとっては、ジョディ・フォスターのベストです、この演技、存在感は。彼女の短期間でのアカデミー賞2回ゲットは、この「君がいた夏」との併せ技だと勝手に思ってるんですよ。

bellbell こういうオーソドックスな役も彼女、できるんですね。若い頃は、「ホテル・ニューハンプシャー」みたいな変わった役どころばかり印象にあるので。

オイカワ そうですね。「タクシードライバー」の少女娼婦の頃から特殊な役柄ばかり演じてたけど、これで、その実力を思い知りましたよ。マーク・ハーモンはどう考えてもミスキャストだろ、とか、デビッド・フォスターのあまりにも情緒過多な音楽がやかましいとか、難点はありますけど、それを補って余りあるジョディ・フォスターの素晴らしさ、そしてストーリーの切なさを味わってほしいです。

bellbell マーク・ハーモンのフツーな二枚目ぶりは、私結構好きなんですけど・・・(笑)。でもフォスターと並んだらきっとダメだろうなあー。今じゃこういう映画って、誰が演じても受け入れられないかもしれませんね。

オイカワ くさってる感じはよく出てるんだけど、もう1回やり直すぞっていう前向きさが無いんですよー。それじゃ、おまえ一生くさりっ放しだろと思っちゃって。ハーモンの子供の頃と高校時代を演じた2人の子役が素晴らしかっただけに残念でした。でも、bellさんのお気に入りをクサし過ぎて話してもらえなくなったらイヤだから、ここら辺で終わりにして、次にいきましょうか。

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リアリティある男女の会話を堪能…「恋のためらい/フランキーとジョニー」

bellbell じゃあ、話のついでに「恋のためらい/フランキーとジョニー」について。これアル・パチーノとミシェル・ファイファーですね。これはもう最初から ”狙った” 映画にも思えてしまいますね。

オイカワ 監督は「プリティ・ウーマン」のゲイリー・マーシャルだしね。

bellbell えーっと、ファイファーはいいんですが、私的にパチーノの恋愛ものっていまひとつイメージわかないんですが。

オイカワ アル・パチーノはこの映画で非常にクサい芝居を見せてくれます(笑)。でも悪くないですよ。bellさんは、パチーノはどの辺のイメージが強い?

bellbell やっぱり「ゴッドファーザー」「セルピコ」「スケアクロウ」「狼たちの午後」・・・。去年観た 「インソムニア」も往年のパチーノそのまんまって感じでしたね。

オイカワ ああ、じゃあ全然違いますよ、これは。ものすごくよくしゃべる男ですから、この映画では。

bellbell あの声で、ですか?

オイカワ あの声で女を口説きまくるんです。

bellbell うーん、仮にそこらへんに惹かれる女性がいたとしましょう・・・。パチーノとファイファーがどんな恋愛映画を演じたのかには少々興味はあります。

オイカワ それぞれ、ワケありな過去を持つ若くない男女のラブストーリーですね。舞台はニューヨークの安い感じのカフェです。アル・パチーノは、刑務所から出てきてこの店でコックとして働き始める。そこで、ウェイトレスをやってるのがミシェル・ファイファー。アル・パチーノは、ミシェル・ファイファーに猛烈にアタックかけるんですが、彼女は冷たいんですね。だけど、アル・パチーノは全然めげる様子もない。陽気なんですよ。そこがまずイメージと違う(笑)。だけど、そういうところに少しずつミシェル・ファイファーは惹かれていく。

bellbell パチーノの奮闘ぶりが目に浮かびますね。 (笑)

オイカワ 奮闘のかいあって、2人はやがてつきあい始める。だけど、アル・パチーノ演じるジョニーが、ミシェル・ファイファー演じるフランキーにプロポーズすると、フランキーは怒ってジョニーをシャットアウトするんです。

bellbell なんででしょう?フランキーには何か過去があるとか?

オイカワ そうです。彼女の過去と密接に関係あるんです。過去の男性関係がトラウマになっていて、それが原因で、男性不信になっている。男と深い関係にはならないようにずっとしてきたんですね。その過去の内容は、これから見る人のために詳しくは言わないけど。そんなわけで、ジョニーと付き合うこと自体が非常に勇気のいる行動だったわけですね。

bellbell その頑なな彼女の心をジョニーがどう解きほぐしていくかっていうところが映画のテーマでしょうか。わりと典型的な中高年恋愛映画パターンのようにも思えますが、オイカワさんが泣けたポイントというと、どういったところでしょう?

オイカワ なんといっても良かったのは、主人公2人の会話ですよ。泣けるというのとは、ちょっと違うかもしれませんが。この作品、もともとは人気舞台劇の映画化だけど、じっさいに映画見ると、ああなるほどなって思います。ほとんど2人の働いてるカフェとフランキーの部屋だけで展開するんです。カタルシスがあるようなダイナミックな展開とかが特にあるわけでもない。フランキーとジョニー、2人の会話だけで語っていくスタイルです。これで会話がつまんなかったら、ダメな映画にしかならないんですが、この会話が非常にきめ細かくて、リアリティがあるんです。ぼくは字幕でしか会話を追えないないんですが、この作品を見たときは英語をもっと勉強しとけば良かったとマジで思った(笑)。

bellbell ゲイリー・マーシャルって「プリティ・ウーマン」の印象が強いのですが、ちょっと昔の「恋のじゃま者」って、トム・ハンクス主演の父と息子の関係を描いた映画が結構面白かったんです。ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアの映画はもう作らないでほしいですね。 (笑)

オイカワ 「恋のじゃま者」は見てないです。bellさんが面白いって言うなら見てみようかな。「恋のためらい」の演出は、凄いことをやってるわけではないけど、会話の良さを生かすような配慮がされていて好感を持ったな。ドラマチックな恋愛っていうのは、現実ではそうそう無いじゃないですか。たまには絵空事じゃないものを見てみたいなあと思ってるときに見ると、すごくいいと思いますよ。実際、夫婦でも恋人でも、一緒に時間を過ごす中で一番多いのって、やっぱり会話してる時間ですよね。映画の中の男女の会話に、ウソくささを感じるような時がたまにあるんですよ。そういうとき、この映画を見るとホッとするんです。

bellbell わかります、その感覚。「恋のじゃま者」も声高に親子の愛情を説くのでなく、さりげない台詞や仕草などに相手への思いやりを感じることのできる映画でした。普通の人たちの、普段生活している中での普通の会話をそのまま切り取ってみても十分面白いと思うんですけど、その面白さに気づく人って少ないと思います。恋の情熱に燃えている時のドラマチックな展開だけでなく、普段の何気ない日常の中にも確かに愛は存在する、そんなことを再発見できるかもしれませんよね。

オイカワ この映画の中で、特に共感したのは、フランキーとジョニーのベッドシーンの時の会話なんですよ。盛り上がって、さあこれからというときに、フランキーがジョニーに「付けないの?」って聞くんですね。ジョニーが「何を?」と言うと、フランキーは「あれ」って答える。ジョニーが「持ってない」と言うと、フランキーはセックスを拒否するんです。実は、これには物語的に深い意味があるんですが、このシーンに代表されるように、物語上すごく重要な部分を、変に説明的にならず、リアリティある会話で展開する。そういう点が好きなんです。

bellbell やっぱり ”恋愛” をテーマにした映画となると、共感できるか否かって重要なポイントになりますよね。自分だったらこういう場合、どんな行動をとるか、どんな言葉を相手に言うのか。ここの場に等身大の人間がいない場合は、キレイな男女のただの絵空事になりますからね。

オイカワ ですね。あと、ぼくは女優の良さが作品の評価に直結するタイプなんで(笑)…ミシェル・ファイファー良かったです。歳相応の疲れみたいなもんをちゃんとにじみ出させつつ、男に自分の年齢を打ち明けるとき、何度もサバ読むあたりは可愛くてね(笑)。

bellbell そうですか、ファイファーっていつもわりと同じような感じの女性を演じているような気がしていたんですが。私は男優の好き嫌いで恋愛映画をチョイスする傾向があって、パチーノは敬遠していたのですけど、ちょっと興味がわきました。

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ひねくれ者でも絶対泣く映画…「ある日どこかで」

オイカワ それで、女優で映画を見るぼくとしては、「ある日どこかで」のジェーン・シーモアの美しさも忘れられませんねえ。

bellbell この映画の、彼女のポートレート、あれがすごく印象的です。

オイカワ そうですよね。クリストファー・リーヴもあのポートレートのジェーン・シーモアに魅せられてしまうんですからね。ぼくも魅せられた口ですが(笑)。ボンドガールが、こんなにもクラシカルな美女になってしまうのか、と。

bellbell この映画は恋愛を絡めたタイムスリップ物なのですが、時代設定は1910年くらい。そんな遠い過去ではないけど、雰囲気がとても清楚で落ち着いた感じなんですね。その当時の人間を1980年代まで生き残らせておきたかったって必要性もあってそうなったのでしょうが、衣装や調度品など、すごく効果的だと思いました。

オイカワ 丁寧に作られてる作品ですよね。

bellbell 最初から最後まで、すごーくよく考えて作られている映画だと思います。SFに詳しくない私は、 ”あの時計はもともとはいったいどこから来たのかな?” とかわかんなくなっちゃうんですけど、そんなことはどうでもよくなるくらい二人の愛が一貫されているところがスゴイって思います。

オイカワ これはすごくファンが多い映画で、カルトムービーって雰囲気じゃないけど、カルト的に人気が高い作品です。公開当時から熱狂している人間が周りにいましたよ。

bellbell あ、そうなんですか。地味めな映画だと思ってましたが。私もやっぱり好きな人にすすめられて観た映画なんです。ひねくれ者が観ても、先の展開がなかなか予想つかないと思いますね。特に前半のコミカルなムードから、一転してもの悲しいラスト。クリストファー・リーヴのあの姿に同情しないのは人間じゃないですね。 (笑)

オイカワ そうっすねえ(笑)。これライターがリチャード・マシスンですからねえ。話は面白いよ、それは。でもこの映画、今回ぼくとbellさんが選んだ20本の中で、泣ける度ではもしかしたら1位かもね。かなり切ないですからね。すれてない人に、20本の中から1本薦めるとしたら、これかもね。

bellbell 私、今回選んだ10本、全て観なおしたんですけど、ホントに泣いたのはこの「ある日どこかで」と「街の灯」。死ぬまでこの2本は泣くと思いますね。 (笑) マシスンはスピルバーグの「激突!」も書いているんですよね。

オイカワ そうですよ。凄い人ですよ。映画界のスティーヴン・キングとぼくは呼んでますが。キング自体が映画に深くかかわってるからあんまり比喩になってないけど。っていうか、キングはリチャード・マシスンから影響受けてんじゃないのかな。50年代にすでに「縮みゆく人間」書いてるし。60年代前半には脚本家として、ロジャー・コーマンのもとで、ポーの小説を映画化しまくり、70年代は「激突」「ヘルハウス」を書き、フランスでも「夜の訪問者」「愛人関係」が映画化される。すんごいキャリアです。

bellbell そういえば「奇蹟の輝き」ってロビン・ウィリアムスの霊界モノがあったんですが、これもマシスンでした。ちょっとついて行けなかったけど、基本的には「ある日どこかで」と同じようなロマンチックなトーンでした。

オイカワ あ、そうなんですか。それは知らなかった。じゃあ映画界の丹波哲郎か。これも比喩になってない(笑)。でも、ちょっと面白かったな、bellさんですら「ある日どこかで」にはマジ泣きしたのかと思うと。

bellbell ホテルの外観とか、あのラスマニノフの曲なんかがいいんですよね。あとクリストファー・リーヴ。一途な鈍くささがユーモラスなんですけど、写真に一目惚れする純粋さにも妙に納得しました。

オイカワ 音楽とワンセットで思い出す映画でもありますよね。ジョン・バリー、さすがです。クリストファー・リーヴは正直、こんないい役者だったのかと驚きましたよ。当時はまだ「スーパーマン」にしか出てなかったはずですから。そういえば、この作品の監督、色んな読み方があるみたいですね。ぼくは昔からの名残でヤノット・シュワルツとつい呼んでしまいます。ヤノット・シュワルツも「スーパーガール」を監督してます。

bellbell そうです、ちょっと前までヤノット・シュワルツでした。リーヴはこの映画を見た限りではコメディ・センスもあったんですよね。この映画を観なおして感じたのは、今こういう映画を作ったとしたらきっと ”夢オチ” って伏線張っちゃうだろうなってことです。今の時代、純粋に ”愛一筋” な人間なんて描ききれないかもしれない、こっ恥ずかしくて。この映画は1980年公開ですが、当時の映画作りに携わる人たちの良心みたいのが感じられるような気がして、また泣けたと思うんです。

オイカワ タイムトラベルの仕方とかが、何ともアナログでいいすよね。ああいうところが、今見たら、突っ込みどころになってしまうかもしれないけど、なんでもハイテクで見せれば良いってもんじゃないとぼくは思う。この映画のいい意味での古さは、もう2度と出せないのかもしれませんね。

bellbell そうですね、もうこういう映画は確信犯的に作ったとしてもウケないかもしれません。ただ今のような映像技術が高度に進歩した映画は、どうしても人間そのものの扱い、表現が軽くなっているような印象ですよね。

オイカワ 最新テクノロジーで何でもかんでも見せまくって、どんどんスペクタクル化させた結果、何を失ったかというと、人の心に残るような物語やキャラクターを、いかに面白く見せるかという部分だと思うんです。これはbellさんが言った「人間そのものの扱い、表現が軽くなっている」というのと同じことですが。それが進歩なのかどうかは疑問ですね。ぼくは古くさいことを言ってるのかもしれないけど、それでもいい(笑)。これは声を大にして言いたい。なぜ、「ある日どこかで」に、いまだに熱狂的なファンが多いのか、なぜへそ曲がりのbellさんがマジ泣きするのか(笑)。そこに、心に残る物語と、それを観客に届けようという意思があるからじゃないですかねえ。

bellbell これからマジ泣きする映画が出てくるといいんですけどね。

オイカワ 「ある日どこかで」で、こんなに熱弁するなんて明らかに場違いなんですが、ぼくも同じくマジ泣き映画を待望してるんで。

bellbell これはどんな人にもおすすめできる映画ですね。

オイカワ そうですね。コアな映画ファンじゃなくても、まったくビビる必要がない映画です。

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これ以外は考えられぬ珠玉ラスト…「街の灯」

bellbell 私はチャップリンの映画の中では「街の灯」が一番好きなのですが、オイカワさんはどうですか?

オイカワ ぼくは、「街の灯」も好きですが、一番と聞かれれば「キッド」かな。「黄金狂時代」も好きですね。初期のサイレントの短編が大好きですなんですよ。昔、それこそ、ぼくが小学生くらいの時に、たしかNHKの30分枠で、チャップリン小劇場とか、キートン小劇場っていう番組があって、それが好きで見てたんです。全部サイレントの短編。今から思うとぜいたくな番組でしたね。

bellbell あ、よかったー。チャップリンの映画、「モダン・タイムス」や「独裁者」の、ちょっと押し付けがましいアイロニーは私、やや苦手なんです。言いたいことはよくわかるのだけど、ちょっと一方的な気がして。この「街の灯」は無声映画とトーキーのちょうど中間点の映画なのですが、アイロニーとペーソスがほどよくミックスされているので好きなんです。

オイカワ そうですね。「独裁者」「殺人狂時代」は迫力ありますけどね。でも好きなのは断然、初期。でも小学生の時テレビで短編見て、ぼくは圧倒的にキートン派だった(笑)。

bellbell 実は私もチャップリンよりキートンのほうが断然好きです (笑)。ひねくれ者な分、チャップリンよりキートンに走ってという傾向もあると思うんですが・・・。しかし 「街の灯」 は調べてみると、チャップリン映画の中でも ”これが一番” って推す人が多いみたいですね。古くはルネ・クレール、最近だとアル・パチーノ、ウディ・アレン、レオス・カラックス。日本人だと爆笑問題の太田とか。 (笑)

オイカワ アル・パチーノっていうのが、ちょっと笑えるな(笑)。ほかの人は納得できるけど。小学生高学年の頃テレビといえば、お笑い番組と野球中継ばっかり見てた。 当時はドリフとコント55号が人気でしたが、ぼくの中ではドリフ=キートン、コント55号(欽ちゃん)=チャップリンという位置付けだった。今思うと子供ながら鋭い。そう間違ってない(笑)。

bellbell そうそう、そうなんですよー。この映画の中にボクシングシーンありますよね、あれ大爆笑モノなんですけど、コント55号やドリフと、笑いのセンス的には一緒だと思うんですよね。

オイカワ 後に続くコメディアンたちは、みんな洗礼をうけてるんでしょうね、きっと。コメディと、あとアクションもそうだけど、研究してくとチャップリン、キートンは絶対避けられないと思うな。ジャッキー・チェンにも影響感じるときあった。特にキートンからだけど。

bellbell キートンは神格化されてもいいですよね。ほんと今観てもビックリ、スゴイですもん。彼と比較すると、チャップリンはテーマに沿って監督、脚本、主演、音楽、一人で全部コントロールして一人で映画を作り上げてきた。そういう点で個人的なイデオロギーが強調されるのは仕方がないと思うんですが。で、この「街の灯」は時代がトーキーへ移行しているのに、チャップリンが無声映画として作ることに執着した映画なんです。

オイカワ なぜ執着したんでしょう。

bellbell この映画って全体的に ”見る” ってことにこだわった映画だと思うんですよね。細かいセリフや背景の説明を必要としない。彼は至高のパントマイム芸を披露しているし、主人公が好きになる女の子は盲目。物を ”見る” ってことで心の充足感を満たすような映画だと、勝手に解釈しております。

オイカワ これがトーキーになった場合のこと想像つかないもんね。あ、そうだ、お笑い論やっちゃったけど、泣ける恋愛映画としての側面について話さないとね(笑)。

bellbell 映画全体的には、他のチャップリン映画とさして変わるところもないのですけどね。そうなのに、この映画のラストシーンで、決まって私は泣かされてしまうのです。 「You?」「You can see now?」「Yes, I can see now」 ってところですね。 (笑)

オイカワ ねえ。bellさんのマネして言うと、このラストでグッとこない人は人間じゃありません(笑)。いい話だよね、これ。スイートでね。なおかつ輪郭がハッキリしてて。万人の琴線に触れるツボをチャップリンは知ってるんだろうな。

bellbell しかしこの珠玉の映画のラストシーンにもいろいろな見かたがあるみたいなんですよね。慕っていた人が浮浪者だと気づいたバージニア・チェリルの表情が暗かった、とか、この二人はその後絶対うまくいかなかったであろうとか・・・ (笑)。しかし私は、このラストシーンには瞬間的な、しかも普遍のハッピーエンドを感じます。それだけで十分。後のことは考えたくない。チェリルの複雑な表情は・・・、目が見えるようになって初めて今まで自分が慕っていた相手を見る。チャップリンをお金持ちと思い込んでいた自分の先入観に対する罪悪感の表情とも受け取れます。で、彼女が見つめるチャップリンの表情。嬉しいけど恥ずかしげ。この時の表情、演技はチャップリン以外の誰かが、そっくり真似して演じても到底受け入れられるようなものでないと思いました。

オイカワ また、ずいぶんヒネた見方する人もいるんだね。ヒネた俺に言われたくないだろうけど(笑)。浮浪者だと気付いたら、そりゃ暗くもなるし、たぶんその後絶対うまくいかないと思うよ、ぼくも。でも、それがどうしたの?って感じですよ。ぼくが何に泣けるかといえば、それは彼女が目の前の浮浪者の手に触れた瞬間に、あの人だ、と思い出すところですよ。手の感触が記憶に残っていたということ自体に胸を打たれますね。そしてそのアイデアを思いついたチャップリンは、やっぱり天才的だと思う。

bellbell そうそう、その瞬間湯沸し沸騰的な喜びで、私も十分だと思うんです。そのシーンに喜びを見出せないようだったら、人生つまんないまんま終わると言っても過言ではないでしょう。でもこの有名な映画、チャップリン自身は作るのに相当苦労したらしいんです。ワンシーン撮るのに1年近くかけたり、チェリルが気に入らなくて、クランクイン後に他の女優を探したり・・・。ラストシーンも別のバージョンがあるっていうのが定説みたいですよ。

オイカワ そうだったのか。ワンシーンに1年って、どのシーンだろう?

bellbell 金持ちの出てくるシーンは全部撮り直したみたいですし、チェリルの目の見えないって演技も気に入らなかったらしい。ラストシーンの別バージョンについても諸説様々なのですが、淀川長治さんによると、刑務所から出所したチャーリーが少女にばったり出くわす。彼女が目が見えるようになっているって気づいた彼はその場から走り出す・・・ってラストらしいです。

オイカワ よっぽど、理想のイメージを持ってたんだろうね、それだけ撮り直すってことは。でも、その別バージョンのラストだったら、これほど後々まで語り継がれる名作になったかどうかわからないな。

bellbell この映画をモチーフにした映画って結構あると思うんですけど、悲劇的な結末を持ってくるようなパターンが多いと思います。そういった意味でも、この映画のシンプルでハッピーなラストシーン、単純に感動しちゃうんですよね。

オイカワ ちょっと、O・ヘンリーの小説みたいでね。これをモチーフにした映画って、たとえば何があります?

bellbell さっき話しに出たアル・パチーノなんですが、「セント・オブウーマン」。これも見ようによってはパチーノのチャップリンに対するオマージュかもしれないと思いました。

オイカワ ああ、なるほどね。アメリカ映画の一番の美点は、ぼくはラストのほんの短いシーンだけで、一挙にハッピーエンドに持っていくような転調の見事さにあると思うんだけれど、「街の灯」はまさにそれです。その転調が効くかどうかは、そこまでの物語の展開や、細かいエピソードの積み重ねなど伏線が重要なんですよね。

bellbell 「街の灯」って、情緒的なシーンはこのラストシーンだけだと思うんですよね。チャップリンって既に無声映画では大スターであったわけだし、観客の彼に対するパブリック・イメージってあるじゃないですか。「キッド」もラスト近くの男の子の泣くシーンにはこちらも泣かされるのですが、こういうドタバタした映画でも最後にみんなを泣かせる。やっぱり彼は不世出の天才だってことに気づかされるわけです。

オイカワ ここ1年くらいやろうやろうと思ってて、やれてないことがあって、それはチャップリンとキートンを徹底的に観直すということなんです。特にサイレント時代のものを。キートンは昨年ちょっと観直したけど。ちょうどHPを立ち上げたから、その中でキートン論、チャップリン論をやりたくて。みんな、この2人を忘れるな!誰のおかげで今、映画があると思ってるんだ!と言いたくてね。今年の目標にしますよ。来年かもしれないけど(笑)。

bellbell それは楽しみですねー。はっきり断言できるのは、チャップリンもキートンも天才だったってことですね。トーキー以降の二人の映画人生ってのもすごく対照的であるけど、映画の歴史の中では象徴的。絶対面白いと思いますよ。

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オーバー30限定しんみり映画…「アニー・ホール」

オイカワ じゃあbellさんと同様に「街の灯」がチャップリンのベストだと言っているウディ・アレンにいきますか?

bellbell 「アニー・ホール」ですね。この映画って「フランキーとジョニー」でオイカワさんの指摘していた普通の男女の普通の会話の恋愛映画に近いと思ったのですけど。

オイカワ 確かにそうですね。だけど、映画の作り方としては、もっと自由な感じがありますね。かなり好き勝手、めちゃくちゃなことしてたりね。

bellbell 笑えるんですよねー。アヘンでしたっけ?吸うときクシャミするエピソードなんか好きなんですけど。 (笑)

オイカワ そうそう、細かいところで変なこといっぱいやってるんですよ。ただ爆笑という感じじゃなくて、クスクス笑う感じだけどね。ウディ・アレン扮するアルビーっていう芸人とダイアン・キートン演じるアニーというちょっとよくわかんない女の話ですね。

bellbell 私、若い頃はウディ・アレンの映画、どこがいいのか全然わかんなかったんです。筋に関係ないエピソードは好きだったりするんですけどね。たとえば「アニー・ホール」では二人でフェリーニの映画を観に行くのだけど、映画は絶対途中から観たくないって主張するアルビー。そんなところは共感できたんだけど。でも30代になってからは、ウディ・アレンの映画はどれ観ても面白いって思うようになりました。で、やっぱり「アニー・ホール」、好きですよ。

オイカワ あ、bellさんもそう?ぼくも全く一緒。「アニー・ホール」は、ぼく封切で見てるんですよ、中学生の時。でも、全然意味がわからなかった。当然ですよね。「アニー・ホール」もアカデミー賞獲ったり、それから「カイロの紫のバラ」や「ハンナとその姉妹」とか評判になってたけど、ずーっと敬遠してたんです。で、20代の後半に、何かの拍子でビデオで「カメレオンマン」を観たのね。そしたらこんなに面白かったのかと、観てない作品をまとめて観た。そこからですね。ぼくは、「インテリア」とか「私の中のもうひとりの私」とか、シリアスなやつはいまだにちょっと苦手なんだけど、ほかは好きですね。

bellbell 私は最近ので「世界中がアイ・ラブ・ユー」「ブロードウェイと銃弾」なんかも好きですね。

オイカワ ぼくは、最近のなら「地球は女で回ってる」だな。基本的には「アニー・ホール」の頃からほとんど同じことやってる(笑)。映画作家としては、最初から完成されてたんですよね。しかし、この「アニー・ホール」を泣ける恋愛映画として選んだけど、どこが泣けるんだと聞かれると、なんとも答えようがないんだよなあ。でも、見終わったあと、何ともいえず、心にジーンと残るものがある。不思議な映画ですよ。ちょっと人によって好き嫌いもあるかもね。

bellbell 普通の恋愛映画と違いますよね。アルビーにとってアニー・ホールは ”運命の人” って扱いだと思うんですけど、身も心もボロボロになるような展開ではない。二人の間に決定的な事件が起こって、涙涙で別れる訳じゃない。それでいて、別れた二人のツーショットはちょっと切ない。なんなんでしょう?

オイカワ 別れるのも、もうアホかっていう理由じゃない。だから、なんでラストの、カフェの窓から街の景色を映したショットで、ジーンとしてしまうのか自分でも分析できない。あんたら、もともとパートナーと一緒に暮らすの無理じゃんっていう2人がくっついたわけだから、うまくいくわけがない。だけど、最初はなんかノボせちゃってけっこうラブラブなんですよね。この辺ちょっとバカっぽくていいんですよ。2人でロブスターを茹でようとして、ロブスターが逃げ出して大騒ぎするところとかね。ダイアン・キートン、マジ笑いしてるし、2人とも素じゃん(笑)。

bellbell そうそう。プライベート・フィルムみたいなノリなんですよね。どんなカップルでもこういうこと、あるんじゃないかなーっていう・・・。ウディ・アレンはいつも通り卑屈で頭でっかちなユダヤ人だし、ダイアン・キートンはインテリジェンス感じさせるちょっと洗練された女。ファッションもさりげないけどニューヨークのデキる女、みたいな。うまくいきそうにない男女が結果的にはうまくいかなかったって話なんですけど、うまくいかなかったことにあまり拘泥しなくてもいいような気がしてくる映画ですよね。

オイカワ アレンとキートンのドキュメンタリーみたいな感じもあるんだけど、二人の関係がちょっとおかしくなるあたりでは、心の声を字幕で出したり変に細工してるところもある。カメラ据えっぱなしで、膨大なセリフを言う出演者たちをじっくり見せたいんだろうなあと思うと、急にアニメが挿入されたり。カメラワークも全然凝ってないように見えるんだけど、繰り返し見ると実はかなり繊細に撮ってるのがわかるし。ポール・サイモンのカメオ出演のところとか、サイモンに全く敬意が払われてないから一瞬だけの登場と思ったら、物語上、重要な役回りだし。だってサイモンがきっかけで、アニーはロスに行っちゃうわけだから。何か、こうバシッとこういう映画ですって言いにくい。だけどやっぱりジーンとする(笑)。

bellbell 実は凝ってる映画なんですか・・・。「アニー・ホール」って、ただなんとなくダラーっと観てしまう映画なんですが (笑)。そういう意味ではジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」と観終わったあとの感慨が似てるんですけどね。でも言われてみると、ウディ・アレンのその後の映画のベースとなってる映画ですよね。

オイカワ 凝ってるというか分裂してるというか。ドラマチックなところがないから、ダラーっと観てしまうんだけど、しばらくするとまた観たくなる。で、観ると、あ、こんなことやってたのか、こんなこと言ってたのか、と新発見がある。情報量がすっごく多くて雑多なんですよね。とっちらかっちゃってる印象もあるんだけど、結局はアルビーはアニーを愛してたんだな、というところが落としどころになっていて、妙にしんみりさせられるんですね。

bellbell それは言えますよね、アルビーはアニーを愛していた。でもうまくいかなかった。ここらへんのサラリとした別れが、アレン・・・というかニューヨークの恋物語って印象もあるんですけど、どうですか?

オイカワ ニューヨーク以外が舞台の「アニー・ホール」は考えられないんだけど、骨格になってる部分はニューヨーク以外でもあり得る話なんですよね。アルビーとアニーの関係っていうのは、意外と誰にとっても等身大に見えるのかもしれないな。出会うべきして出会って、激しい恋に落ちて、障害があって別れるっていうような、いわゆる“太い”恋愛ドラマは現実にはあんまり無い。映画として割り切って観るのならそれでもいいけど、自分の普段の生活とあまりにもかけ離れていると白けてしまう。そんな時、アレン作品の恋人たちを見ると、俺らと一緒やん、と思えるのかもしれないですね。ぼくもbellさんも30歳過ぎてからアレンがいいと思えたのも、それが原因かもしれない。それなりに色々経験して(笑)、やっと非現実的じゃない恋愛映画が理解できるようになる。違うかな?

bellbell 20代前半で「アニー・ホール」をいいと思う若者は、健全な恋愛をしていないってことにもなりましょうかね。 (笑)

オイカワ そういうことですね。若いうちは、ドラマチックなものだけ見てればいいんですよ。「タイタニック」とか(笑)。

bellbell で、ちょっと恋愛の辛酸をなめたところでウディ・アレンの映画を観て、落ち着くと・・・。でも彼の映画の中高年、みっともないくらい恋愛に右往左往したりするんですよね。 (笑)

オイカワ 笑いますよね、あの右往左往ぶりは。すぐに精神分析医のところに行くし。あのみっともなさはウディ・アレン作品以外では見たことないな。

bellbell アレンの映画で日本人に精神分析医の観念ってのが定着したところもあるかもしれませんね。そういえばアルトマンも「ニューヨーカーの青い鳥」でおちょくってまっしたが。

オイカワ そうですか。「ニューヨーカーの青い鳥」は見てないんです。アルトマンらしい皮肉ですかね。唐突ですが、ぼくは「ハンナとその姉妹」を見たときに「ああ、これトリュフォーに見てほしかった」って思ったんですよ。トリュフォーが亡くなった後の映画だからね。トリュフォーは批評家でもあったけど、彼なら何て言うかなと思ったんです。アレンには、トリュフォーとの共通性も感じるんですよ。グズグズ言ってる小柄なダメ男が主人公っていう共通性もあるけど(笑)。ウディ・アレンは映画狂ですが、彼の作品を見てると、間違いなくヌーヴェルバーグ以降の映画だなって思います。直接的な影響は無いかもしれないけど、あのラフな感じを見ると、これはヌーヴェルバーグ、特にトリュフォーとゴダールを通過した人の映画だなという気がしてくるんです。

bellbell 言われてみるとヌーヴェルヴァーグの影響はあるかもしれませんね。即興っぽい演出や、移動するカメラの撮り方なんか、今ふと思いついたアレンの映画のシーン、共通点を感じます。さっき ”恋愛に右往左往する中高年” って自分で言ってて連想したのが、フランス映画の、いくつになっても愛に一生懸命な登場人物たちですもん。 (笑)

オイカワ “ウディ・アレンとフランソワ・トリュフォー”というタイトルで、家で個人的に映画祭やろうかな(笑)。

bellbell 確かに対になる作品がありそうですよね。「華氏451」と「スリーパー」とか  (違うか  笑)

オイカワ 「恋のエチュード」と「ハンナとその姉妹」とか  (違うか) 

bellbell 「ブロードウェイのダニー・ローズ」と「終電車」とか  (違いますね・・・  笑)

オイカワ 「日曜日が待ち遠しい」と「マンハッタン殺人ミステリー」。「野生の少年」と「カメレオンマン」とか  (これはイイ線いってるかも)

bellbell 「黒衣の花嫁」と「ウディ・アレンの 重罪と軽罪」、「ピアニストを撃て」と「ブロードウェイと銃弾」 でしょうか。

オイカワ マジでできそうだね、この映画祭。

bellbell 結構リンクしてそうですよね。

オイカワ 思いつきで言ったけど、意外と図星だったか(笑)。

bellbell 企画してみてください。 (笑)

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ラストの“奇跡”に思わず拍手…「緑の光線」

オイカワ 「緑の光線」は、bellさんが選んだ作品の中では、ちょっと異色の存在ですよね。「デッドゾーン」にも驚いたんだけど、これも“泣ける恋愛映画”っていう枠の中でよく選んだなあと(笑)。

bellbell ”恋愛映画” ではないですよね。”恋愛を探してる情緒不安定な女の子の映画” なのですが、この ”泣ける” ってカテゴリーにどうしても入れたくて選んでしまいました。 (笑)

オイカワ ははあ、なるほど。より具体的になぜ“泣ける”のかを教えて下さい。

bellbell もう言うまでもなく、泣けるシーンはラスト。このラストシーンにはいろんな見方があるとは思いますけど、水平線の日没を見つめる主人公の顔を見ているだけで、心の中のどっかのタガが緩む映画ですね。ヒロインと同じ気持ちになって、太陽の光を見つめる気持ちが少しでもあれば、必ず泣けます。

オイカワ もう、まとめてしまいましたね(笑)。ぼくの質問が悪かったな、わかってて聞いちゃったからな。

bellbell いや、このラストまでに至る過程も重要だと思いますよ。このヒロイン、現実にこの日本において私の近くにいたら、イライラするタイプの女なんですがね。

オイカワ かなりわがままで偏屈ですよねえ。

bellbell かなーり、鬱陶しい女ですね。バカンスを一緒に過ごす相手がいない、どこで過ごすかも予定がない。で、メソメソいじいじするわけです。

オイカワ 理屈っぽいし、心を開かないし、だけど実は孤独が怖いみたいなね。

bellbell そのことをいろいろセリフで説明されるんだけど、わかったようなわからないような・・・。でも心情は伝わってくるんですよね。

オイカワ 最初は確か、いっしょにバカンスに行こうと思ってた友達からキャンセルされちゃうんでしたよね?

bellbell そうそう。で、いろいろ探し回るんですよね。友だちやら男友達、肉親とか。で、落ち込んでる彼女を見た職場のお友だちが ”一緒にヴァカンス過ごさない?” って誘ってくれて、くっついていくんだけど、ヴァカンス先でなんとなく居心地悪いって感じを他の人に見抜かれちゃう。そういう立ち回りがすごく下手なんですよね、彼女。

オイカワ その旅先だかそれともパリでなのかは思い出せないんだけど、なんか公園みたいなところで、変な男に絡まれるようなシーンありませんでした? 別な映画かな、ロメールの。 

bellbell ありましたよ。ベンチに座っている彼女に、色目を使う男が近寄ってくるんですよね。で、彼女は、すごく恋人ほしいのだけど、その男を全く相手にしない。そんなにヘンな男でもないのですけどね。多分パリだったと思うのですが、そういう男に対してつれないそぶりをする、パリジェンヌらしからぬ態度に彼女の頑なな心ってのを感じるんですよね。

オイカワ あそこが妙に印象に残ってた。エピソードの順番がどうもごちゃごちゃになってるんですが、ラストの海に至る旅行の前に、まだどこかに行ってませんでした、彼女。なんか、けっこうあちこち旅に出てた印象があるんだけど。

bellbell あっちこっち行ってますよ。ヴァカンスシーズン中、職場の友だちの田舎の家とか、男友達のいる山のほうとか、一人でイモ洗い状態の海水浴場に行って、スウェーデン人の女の子と行動をともにしたり・・・。あっちこっちいってるけど、逆に寂しい気持ちを満たされてないって強調してるんですよね。

オイカワ それで、そのあとか、緑の光線の話を聞くのは。

bellbell お年寄りたちが集まって話してるの、偶然彼女が耳にするんですが。この ”偶然” ってのもこの映画の中では重要なキーワードになってると思うんですよね。偶然、というか 運命・・・、いや、奇跡かな。占い師が出てきて ”緑色がラッキー・カラー” みたいなこと言うし、ヒロインはトランプ拾って何かの暗示と信じ込むし・・・。

オイカワ 確かにそうだ・・・。今、思い出してみると、この「緑の光線」のみならず、ロメールの映画全般、“偶然”は重要な要素かもしれない。60年代、70年代の作品も“偶然”がかなり多かった気がする。「緑の光線」をはじめとして、わりと受身な人物を主人公に据えるからかな。

bellbell そうそう。そうかもしれませんよね。主人公の思惑とは関係無しに、突然他人の持ち込んできた話に主人公が翻弄されるってパターン、多いかもしれない。でもこの 「緑の光線」 では、そういう ”偶然” に対する伏線が張ってあって、ヒロインもそれにどこか期待しているところがある。もしかしたらなにかいいこと起きるのかも、って。そうでなければあのラストシーンには感動できない作りになっていると思うんですよね。

オイカワ そうですね。この映画では、明らかに、彼女は何かを待っているし、期待している。でも、彼女を満たすようなことはなんにも起きない。ところが、最後にあの青年と意気投合するんですね。

bellbell その出会いのシチュエーションもまたいいんですよね。 ”やっぱりなんにもみつけられなかった” って傷心の彼女が、パリ行きの電車を待ってる待合室で本を読む。ある青年が声をかける。 「それ、ドストエフスキー?」 って。ドストエフスキー好きの私からみたら、もう ”待ってました” な展開です。 (笑)

オイカワ あ、そうかそうか、彼女が本を読んでたんだっけ。ドストエフスキーを待合室で読む女…そこからして、もう彼女がただのパリジェンヌじゃないってのがわかりますな。

bellbell 理屈っぽい女でしょうか (苦笑)。でも彼女が恋人探しをあきらめてドストエフスキー読み出すような、そんなシチェーションで、偶然ばったり自分と嗜好の似た男性を発見する ”奇跡”。ここで拍手したくなる気持ちになるんですよね。この男の人との関係をを大事にしなさいって、観ている人はみんなそんな気持ちになると思う。で、頑なな彼女の心も少しほぐれて二人でちょっとヴァカンスの一部を過ごすことになって、あのラスト。

オイカワ いえいえ、理屈っぽいとは思ってませんよ(笑)。ただ、なかなか「それ、ドストエフスキー?」って、声はかけずらいよね(笑)。でも、今、聞いてて思ったけど、この話って、実はすごくよく考えられてる話なんだね。

bellbell でも、私、あらすじやエピソードをいろいろ話してきて思ったのですが・・・。やっぱり話の展開そのものより、ロメールって監督がそんな話をこんな映画に作り上げたってことのほうがスゴイんじゃないかって気がしてきました。やっぱりこの女はどうしようもなく情緒不安定でヒステリックで理屈っぽくっていただけない女だと思います。 (笑)

オイカワ 以前、ロメールがインタビューの中で言ってたんだけど、「緑の光線」ってシナリオなしだったんだって。全編、即興演出だったらしいです。毎朝、ロメールが役者にその日撮影する分のセリフを渡してたらしい。

bellbell この映画は自主映画のノリで作ったらしいですよね。それまでロメール映画で撮影を担当していたアルメンドロスも使ってなくて、女性ばかり3人ほどのスタッフで撮ったらしいです。

オイカワ プチハーレム状態(笑)。もともとロメールはそんなにでかい規模では撮ってなかったけど、この作品にいたって遂に行くとこまで行っちゃった感じです。ロメールの凄さって天気まで自由自在に扱うところだよねえ。逆に、少人数で小回りがきく撮影だから、こういうことできたんだろうな。

bellbell でもどの映画でも共通するのは、女性心理の的確さですよね。男性から見た、という視点だけではないような。はっきり言っちゃうと、妙に生々しさを感じるのですが。極端なエロテシズムはないけど、逆にそういう点にいやらしさを感じるのは私だけなのでしょうか。

オイカワ 違いますよ(笑)。ぼくもそう思ってますよ。ロメールは生々しいし、いやらしい。でもエロティックと言っちゃうと、何か違うんですよね。几帳面なのに生々しい、という感じ。

bellbell この「緑の光線」でもですね、ヒロインが親戚の家に遊びに行くんですね。で、姪っ子の赤ちゃんをあやしてる。するとタンクトップの肩の片側がスルって落ちたりする。で、ヒロインは何気ない感じで落ちた肩紐を元に戻す。 ”これがフランス人女性かー” って思ったりするんですが、そこをカットしないで映画のフィルムとして使うロメール。只者じゃないって感じです。 (笑)

オイカワ ああ、それはロメールだ(笑)。ぼくは、実は、90年代以降のロメールは、ちょっとさぼってまして。ちょうど、この「緑の光線」あたりから、若い女の子を主人公にした作品が多くなってきますよね。深い理由は無いんですが、そこでちょっと離れてしまった。ただ、無性にロメールが見たくなるときがあるんですよ。おっ、今日はロメールを見たい気分だぞ、というような。ロメール日和と呼んでますが(笑)。で、ビデオを借りに行くんですが、ぼくがものすごく偏愛している作品が2本ありまして・・・

bellbell なんですかー?実は私、日本にロメールが紹介された頃の 「海辺のポーリーヌ」以前は観ていないんですが・・・。 (笑)

オイカワ 「モード家の一夜」と「クレールの膝」なんです。じゃあ、この2本は見てない?

bellbell 観ていないんです。傑作ってことは聞いているんですけど。今のロメールと違うんですか?

オイカワ 主人公は男なんですね。ロメールの映画に出てくる男って、なんかうさんくさいでしょ。なんでかわかんないんだけど、妙にうさんくさい。「モード家」はジャン・ルイ・トランティニャン、「クレール」はジャン・クロード・ブリアリと、名の通った俳優が主役。そこが最近とはちょっと違う。でも、2人とも見事にうさんくさいんです(笑)。

bellbell ロメール映画で男の人って、添え物っぽい印象が。特に映画の前半、中盤に出てくる男の人は嘲笑の対象みたいな。 (笑)

オイカワ そうね、確かにね。ぼくが偏愛してる2本は、添え物じゃないんだけど、強烈な個性は無い。やっぱり受身なんです。それで、一見普通の人なんだけど、やっぱりどこかずれてる。今回、bellさんのリストを見て、おっ「緑の光線」か、久しぶりに見てみるか、それで90年代以降のも見てみようかなと思い、ビデオ屋に行ったら、「緑の光線」が無かった。参ったなあと思いつつ、結局「モード家」を借りて見てしまいました(笑)。

bellbell 最近はロメール映画って言うと、仕事帰りのOLが銀座の単館映画館に観に行くってイメージがあるんですが・・・。それでもいいから、ロメールの映画をたくさん観てもらいたいって感じます。

オイカワ 80年代、「海辺のポーリーヌ」が入ってきたとき評判になって、その後、やっと日本でもコンスタントに公開されるようになりましたよね。でも、ロメールの良さを人に伝えるのって難しくないですか? 「モード家」や「クレール」について、魅力を話せと言われればいくらでも話せるんだけど、限りなく具体的なシーンについてのみ話して終わりそうになる気がするんですね。それが、どうしたの?と突っ込まれたら何にも言えなくなりそうな・・・。そういう意味では「緑の光線」は、魅力を伝えやすいと思います。ロメールの魅力を伝えるんだったら、絶対bellさんの方が適任だね。もっとバシバシ紹介してよ。

bellbell ひとつロメールの魅力を言わせていただきますと、洒落の利いたセリフや等身大のヒロインってのもいいと思うんですが、なんといっても ”空気” です。映画の空気。この「緑の光線」も、セリフや設定も作用しているとは思いますが、映画でなければ表現できないような ”空気”を感じることができます。たとえば、ヴァカンスで友だちの田舎の別荘にお邪魔したヒロイン。なんとなく居心地悪い。他の人はみんな遊びに出てしまった別荘で、一人家の裏手にある林のほうへ歩いていく。風が吹いていてその音を聞く。説明は何もなくても、ヒロインの気持ちと周りにある自然が一体となって観る側に感じられます、 ”あ、寂しいんだ・・・” って。なんとも説明しにくいのですが、そういう一つ一つのシーンに、一つ一つ感じ入ることができるのがロメール映画って気がします。

オイカワ なるほどー、“空気”ね。ロメールの映画は基本的にはほとんどロケ中心なんだけど、それが本当に素晴らしいんだよね。場所の雰囲気、というか、やっぱり“空気”だね。“空気”を映画の中に取り込むのがうまい。「モード家の一夜」は雪が非常に効果的に使われたました。

bellbell 彼の映画でよく出てきますが、パリにいる時と田舎にいる時の主人公の心情が変化するのも納得いくんですよね。田舎では開放感があって恋に落ちやすかったり (笑)。場所と人間心理の変化の相関関係を表したら一番かもしれませんね、ロメール。

オイカワ ああ、そうかも。思い出すと、具体例、いろいろありそうだな。

bellbell 逆に言うと、パリで暮らす人間の心理を描くのがうまいってことかも。

オイカワ でも、パリのイメージは意外と希薄だなあ。ぼくだけかもしれないけど。自然に囲まれた避暑地であるとか、湖畔とかね、そっちのイメージの方が強いんです。たぶん、最近の見てないせいだと思うけど。

bellbell もう今じゃみなさん、ちょっと余裕ができたら海外旅行ってご時世ですが・・・。でも海外旅行やいろんなメディアから伝わってくるパリのイメージよりも、フランス映画を観たほうがリアルなパリを感じることができるような。 (笑)

オイカワ はいはい、わかります。場の空気を見事に映し出すロメールの映画見た方が、現実に近いぞ、と。

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ほぼ反則シーンにこらえきれずに泣く…「パリ、テキサス」

bellbell で、ハリー・ディーン・スタントンもパリ (アメリカの) を夢見ていた 「パリ、テキサス」 ですが。 (笑)

オイカワ これはねー、こう言っちゃなんだけど、あまり多くを語らずに、ただ見てくれと言いたいね。ぼくは、冒頭のタイトルにライ・クーダーのギターが入って、空撮でテキサスの荒野を捉えた画面の中に小さくハリー・ディーン・スタントンが見えた瞬間から、しびれまくりましたね。

bellbell 確かに。 ”何が起こるんだろうー!?” って思わせるようなファーストシーンですね。スタントンのいでたちの異様さもすごーく印象的で。

オイカワ 汚れたスーツにスニーカー、髭づらに赤いキャップ、ポリタンクから水を飲むんだよね。

bellbell あの衣装は誰が考えたんでしょう・・・、ってヴェンダース以外思いつかないでしょうね。

オイカワ ねえ、インパクトあったね。モニュメントバレーみたいな、西部劇でしか見たことないような風景の中ね。スタントンの痩せ方もリアルだし。

bellbell で、また彼の表情ですね。やつれて精気も正気も失っているようだけど、何かを探しているあの目。あのロケーションだから彼の表情もすごく強調されている感じでした。

オイカワ なんで、そんなとこ歩いていんだよー、って思うでしょ?もう、あのファーストシーンで、この映画の成功の半分は約束されたようなもの。半分は大げさかもしれないけど。でも、こいつに何があったんだ?って思うじゃない。最高のつかみだよね。

bellbell 彼がどんな人生歩いてきてそんな状態になったかってことが語られていくわけですよね。このファーストシーンから、ラストの母と息子の再会シーンまで、全編にわたって ”絵になってる映画” じゃないですか?

オイカワ 絵になり過ぎ(笑)。とにかくスチール栄えする映画。ファーストシーンのつかみ方といい、こういう、いい意味でのハッタリって、たぶんそれ以前のヴェンダースには無かったと思うんですよ。だから、これはヒットするよね、やっぱり。ストーリーも泣かせのツボを押しまくるし。ライターはサム・シェパードです。

bellbell そうなんですよね。テーマは家族の絆。すごく丁寧にそれぞれの人間の心情を描いていますよね。

オイカワ 弟夫婦がまたいいんですよー。ディーン・ストックウェルとオーロール・クレマンが演じた。今回観直して、この弟夫婦の存在が大きいと痛感した。

bellbell この二人の甥っ子に対する愛情が切ないですよね。スタントンがやってきたことで、甥っ子との生活が崩れることに不安を感じる。でもこの二人、とってもいい人たちなんで、いきなり現れたスタントンにも優しく接する。この夫婦の心情がジワジワくるんですよねぇ。

オイカワ きますね。公開当時に見たときよりも泣けた。この2人のおかげで。前に見たときは、クライマックスののぞき部屋でのナスターシャ・キンスキーとの会話の部分とラストに泣けたんだけど、今回は前半に泣けた。特に昔撮った8oフィルムを見るシーン。あそこには参ったな。こんな反則スレスレっていうか、ほぼ反則シーンには泣くもんかと思ってたけど、こらえきれませんでした(笑)。

bellbell この映画って、すごく ”見る” ことにこだわった映画ですよね。「街の灯」もそういうふうに言ったのですが、 ”見る”モチーフがたくさんでてきますよね。8mmフィルムや写真を見ることによって失われた過去の時間を取り戻し、お互いの絆を回復するっていう。

オイカワ あれ?そう言われると、「街の灯」のバリエーションのような気もしてきたな。人物設定とかは全く違うし、ストーリー展開も共通してるとこないんだけど、“見る”ことへのこだわり、そして“記憶”も重要なキーワードになってるよね、どちらも。「街の灯」の盲目の少女は、目が見えない期間の記憶はもちろん持ってるんだけど、視覚的な記憶は全く無い。サイレント映画だから、聴覚的記憶も封印されてる。触覚的記憶だけなんですよね。だから、浮浪者のチャップリンを見ても、わからない。だけど手に触れることで、記憶がよみがえる。「パリ、テキサス」のハリー・ディーン・スタントンは記憶喪失になっている。彼は、「街の灯」とは違い、見ることで取り戻していくんですね。

bellbell これはヴェンダースって人自体が、物を見るってことに対して全幅の信頼を置いているような、所信表明の映画って気がするんですが。純粋に映画の力を信じているような。

オイカワ それが、それまでのヴェンダース作品とはちょっと違う、力強さを産んでるのかもしれないね。ヴェンダースは「パリ、テキサス」の後、「東京画」をはさんで、「ベルリン・天使の詩」を撮るけど、この2本のストーリーは、ほかの作品に比べてケタ違いに(笑)普遍的というか、わかりやすいんだよね。この2本で完全に世界的なスター監督になりましたよね。「ベルリン」に至ってはハリウッドでリメークされるくらいだからねえ。「シティ・オブ・エンジェル」。メグ・ライアンとニコラス・ケイジの。すっげえつまんなかったけど(笑)。

bellbell この2作品はテーマがはっきりわかりますからね。”見ること=愛” に主眼を置いて、人物や背景の設定は最小限にシンプルに。「ベルリン」もそうですが、この映画の色の使い方が印象に残ってます。赤、ですね。スタントンのキャップもそうですが、ナスターシャ・キンスキーの赤い車、赤い服。

オイカワ 特に、キンスキーの服と車は強烈だったね。撮影はロビー・ミュラー。その後、ジャームッシュの作品を多く撮り、bellさん絶賛「ダウン・バイ・ロー」のモノクロ画面もロビー・ミュラーです。最近では「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を撮ってますねえ。もともと、ヴェンダース作品のカメラマンとしてそのキャリアを始めた人だけど、彼もいまや押しも押されぬ世界的大カメラマンです。

bellbell キンスキーが美しいですよねえ。映画の後半にやっと彼女が登場するんですが、インパクトがありますよね。

オイカワ 出番は意外と少ないんだけどね。彼女の映画デビュー作がヴェンダースの「まわり道」のはずですよ。あと、息子役のハンター・カーソンも良かった。ヴェンダースって子供使うの上手いんだよ。「都会のアリス」の少女も良かったし。なんか、そのあたり、チャップリンとの共通性感じるな。

bellbell そうでしょうね。やっぱりチャップリンのことも映画作家として顕揚していると思いますね。この映画、結局二人の仲は元には戻らないんですが、やっぱりそういう点もオイカワさん好みなのでしょうか?

オイカワ うーん、この映画の場合、どっちでも泣けたとは思う。仮に元に戻っても、それはそれで良かったと思います。ただ戻れないだろうなとは思うけどね。この作品は、よく考えると、恋愛映画というより、むしろ家族映画として泣けたんですよね。だから、ちょっと反則チョイスなんだよ。今回見たら、スタントンとキンスキーの間にあった感情というのが、思いのほか説得力が無かった(笑)。無いわけじゃないんだけど、ちょっと無理があるかもなーと。これ、言うべきかどうか迷ったんだけどね。

bellbell 辛い過去は全部セリフのみで語られてるんですよね。偏執的な男と、それについていけなくなった女。いつの間にか立場が逆転して、男のほうがその状況から逃げ出してしまうって話をのぞき部屋のシーンで私たちは聞かされるんですね。その二人の当時の心境は、わかったようなわからないような・・・。 (笑)

オイカワ 話としてはわかるんです。ただ、ひとつヴェンダースにミスがあったとしたら、演技の指示の部分だと思うんですよ。ハリー・ディーン・スタントンとナスターシャ・キンスキーというキャスティングをしたんなら、それ相応の演技の指示が必要だと思う。もちろん2人とも素晴らしいんです。記憶を失って荒野をさまよう男っていうイメージに、スタントンはこれ以上の適任はいないほど見事に合ってるし、過去を抱え、のぞき部屋で働きながら、子供にわずかずつでもお金を送り続ける女っていうイメージにキンスキーはぴったりなんです。だけど、この2人の間に、男と女のそういう焼け付くような、ヒリヒリするような関係があったっていうイメージがどうしても湧かないんです。だから、恋愛部分では、あと1歩のところで涙が出ないもどかしさがある。それぞれピンで考えるとピッタリなんですが、関係性の部分の演技が弱い。そこはヴェンダースの責任だと思いますね。

bellbell あー、そうですね。二人は最後までガラス窓を通して対話している。顔を見合わせるのは最後のほんの一瞬だけ。顔を付き合わせちゃうと違った展開が予想できるけど・・・。スタントンがのぞき部屋のキンスキーに対して、焼きもち焼くようなシーンありませんでしたか?そのシーンで、スタントンは、いくら時間がたっても結局彼女を前にすると独占欲の強い男に戻ってしまうってことを自覚して、そういった再会の方法をとらざるをえなかったと思うんです。で、わりとドライな演出になったんじゃないかなって。

オイカワ そうなのかもしれないけど、やっぱり“恋愛”に関しては、説得力に欠ける部分があるなあ。演技で表現しないのなら、もうちょっとシナリオを工夫すべきだったのかもしれないね。もっと過去の出来事に現実感を持たせるような展開なり、エピソードを入れるべきだったのかも。もともと、ヴェンダースってそんなに恋愛映画を上手に撮れる人って感じじゃないからねえ、身もふたも無い言い方だけど。自分でピックアップしといて批判してどうするんだ(笑)。

bellbell でもいい映画ですよねー。私もこれリストに入れてあったから、見直してたんです。あんまり ”恋愛” を感じなかったからはずしちゃったけど、大好きな映画なんです。

オイカワ 恋愛というのにこだわらず、泣ける映画として薦めたいですね。泣くといっても声をあげて泣く感じじゃないけどね。ぼくは、スタントンと子供の関係が、特にね。父親と息子って一緒に暮らしてたとしても、結局はああいう形で関係を築いていくしかないところがあるなあと。弟夫婦との絡みの部分も含め家族についての映画として見てもらえればいいのかなと思ってます。

bellbell 道路を挟んで、二人がお互いの仕草を真似しながら歩いていくうちに心が通じ合っていく。あんなシーンも無声映画っぽかったですね。

オイカワ そうですね。小津を思い出しましたが。

bellbell なるほど、そうですね。突貫小僧も研究したんでしょうし。

オイカワ 小津大好きですからね、ヴェンダースは。

bellbell 小津映画もいつもテーマは家族ですから、ヴェンダースがこういう映画を撮って当たり前ですね。

オイカワ ああ、そうか。そうだね。スタントンとオーロール・クレマンが話すシーンとかも、ちょっと小津を連想させるところがあったなあ。でも、まあ、そういうことを気にしなくても、ごくごく当たり前に見ることができるし、胸に残るものが必ずある作品だと思ってます。ぼくとbellさん、2人揃ってオススメします。で、いいよね?

bellbell ですね、この映画は二人のお墨付きってことで。

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恋愛は観るだけでもう腹いっぱい

bellbell えー、ついに20本+1本、話し終えましたね。

bellbell 内容が濃いですねぇ。好きな監督、俳優で絞ったのでいろんな話に波及するのは当然でしょうが。

オイカワ でも、このテーマ、広がりあり過ぎて、きつかったね。選ぶのも話すのも。もうちょっと限定したテーマにしないと大変だ。

bellbell そうですねえ。次回の課題でしょうね。

オイカワ 今回、それぞれが選んだ作品はダブりは無いけれど、実は、ぼくは最初のピックアップ時に、「めまい」と「特別な一日」を入れてました。

bellbell 私は「白夜」と「パリ、テキサス」です。

オイカワ あと、最初にちょっと言ったけど「恋恋風塵」を忘れてたのが心残りです。

bellbell アジア映画も入れたいところなんですよね。特にホウ・シャオシェンのこの映画は、彼の映画の中でも特にリリカルじゃないでしょうか。

オイカワ そうだね。これは良かったなあ。ああ、こんな映画を作る人がいるんだ、と驚いた記憶がありますね。忘れられない映画だな。あとは、ぼくはトリュフォーをどうするかというのが課題でしたね。恋愛なら当然入れないといけない。だけど、意外と泣けない、トリュフォーは。「隣の女」を入れるかどうか迷いました。ウディ・アレンの時、トリュフォーのことを話せたのでとりあえずは満足してますが。

bellbell 「隣の女」は泣くヒマがなかったですね。怖いのとラストの驚きで。

オイカワ でしょ。トリュフォーは泣けないんですよ。bellさんは、ほかに心残りはありませんか?

bellbell 「天井桟敷の人々」はあまりにも有名な恋愛映画で、しかもこれを入れると映画批評家みたいなのでやめました。でもバチストは永遠です。

オイカワ 映画批評家みたいなので、ってのがいいね(笑)。ぼくは、心残りという点では「恋恋風塵」以外だと、ニコラス・レイの「夜の人々」ですね。この2本は、どれと入れ替えてもいいくらい。

bellbell 「夜の人々」いいですよね。でも恋愛映画の宝庫であるはずの40年代から60年代にかけてのハリウッド映画がないですよね。ヒッチコックやリーンはイギリス人だし。ここらへん、ヒネてますねえ。 (笑)

オイカワ いやあ、いっぱいあり過ぎてさ、どれを選んでいいかわかんないから、全部まとめて敬遠した。

bellbell エリア・カザンくらいは入れてもいいかなって「草原の輝き」、考えてたけど、結局「デッドゾーン」とか入れちゃいました。 (笑)

オイカワ ぼくも「おもいでの夏」じゃなくて「君がいた夏」にしちゃったしな。

bellbell でもバラエティに富んだベストができたと思います。 (”支離滅裂” とも言えるでしょうが)

オイカワ ぼくの場合、最初はゴダールの「気狂いピエロ」やアレックス・コックスの「シド・アンド・ナンシー」まで視野に入れてたんだから、この辺が加わってたら、もっと支離滅裂になってたな(笑)。

bellbell 私も「コレクター」入れたかったんですけどね。

オイカワ あれに泣けるのはbellさんだけじゃないの(笑)?

bellbell あれは哀しいですよ。思わずテレンス・スタンプ応援しちゃいます。

オイカワ 哀しいっちゃ哀しいけどね。誰かが投稿してくれるのを期待しましょう。

bellbell 今回恋愛映画について語っていて思ったことは、自分の恋愛経験の浅さ、です。 (笑)

オイカワ あははは。見事なまとめ! でも、ぼくもそうだよ。

bellbell でもいろんな愛の形があるってことと、実際体験できなくてもそれを感じられるのが映画ってことで。どうでしょう?

オイカワ 映画の中の恋愛をいちいち実際に体験してたら死ぬだろうな。ぼくは、見るので十分(笑)。

bellbell 私もハタから見てるだけでおなかいっぱいです。(笑)

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