徳田秋聲原作、水木洋子脚本、成瀬巳喜男監督の1957年制作「あらくれ」。
この映画で描かれた高峰秀子演じる女の造形。これこそハードボイルドのあるべき姿だ。
夢も希望もスペクタルも無い出来事を即物的に対処しながら乗り越えていく人物を幻想無しにまるで石ころを拾うがごとく描くスタンス。
それが正しいハードボイルドのイメージだ
世間に流通しているハードボイルドのイメージ、言わせてもらえばこれは全くもってクールじゃない。きわめてウェット、べっとべと。
「あらくれ」はクールだ。
だが、ハードボイルドと聞いて舌なめずりして観た人は、おそらくガッカリするだろう。
カッコいいとか、シビれたとは間違いなく言えないだろうし、絶対に気持ち良くなれないことを保証する。
なんせ石ころだから。夢も希望もスペクタクルも幻想も何も無いんだから。
大正から昭和にかけて貧困ゆえに劣悪な環境で成長せざるを得なかった一人の女。
本人を前にして、牛や馬の話をするかのごとく身売り話が当たり前に出る。
身売り先の商家では、夫、すなわち馬鹿ダンナ(上原謙=超適役!)の身勝手さに振り回されたあげくに、いとまを出される。
流れ着いた先の東北の旅館では、生活能力の無い中年ボンボン(森雅之=超絶妙!)にヤられちゃって、意外とその気になって愛人になったはいいが、男の煮え切らなさとお家の論理に体よく追い出される。
それらを乗り越え、商売人として生きていくメドが付いたら、一緒に商売を始めた男(加東大介=超上手!)は、やり手と思いきや実はナマケノモノのロクデナシ。
よくある“女の一生もの”というイメージが先行するが、実際に作品観ると、そんなもん見事に裏切られる。
映画全編通してふてくされた顔とクソ生意気な物言いを貫き通す高峰秀子がとにかく素晴らしい。カッコ良くてシビれる。
忍耐なんてクソ食らえ、無言の抗議ってそれ何?とばかりに、目の前の出来事にその都度その都度、当たり前のように、やってらんねえリアクションをぶちかましまくり、場合によっては実力行使。
ロクデナシ夫の加東大介にホースから引いた水をぶっかけちゃうんだもの。ここ最高だった。
世の中もまわりの野郎どももクソばっかし、そう言うワタシだって大したことないけどさ、でもまあとりあえずは生きてかなきゃ…
それを社会性方面に収束させることなくぶっきらぼうに描く水木洋子の脚本、そして成瀬の演出にハードボイルドの真髄を見せつけられた気分だ。