面白い映画教えます

白夜

芸術家と称されるヴィスコンティはむしろ芸能の人だと思う

オールセットのルキノ・ヴィスコンティ版「白夜」。
そのセットがとにかく凄い。技術的な面の高度さといったら、ホントにもう驚愕するほかない。
しかし、技術力に驚愕するのは、技術によって表現された世界が見事だからである。当たり前の話だが。
その世界を作り出す源泉となるのはクリエイターのイマジネーションであり、そもそもイマジネーションが無いか、あっても鼻クソ並みだったら、技術の高度さなど判別できないだろう。仮に判別できたとしてもそれがなんだという程度のものだろうし、しかも判別できるのはマニアのみ。悲惨である。

@こういうイメージを現出させたい

Aそのためにはこういう技術が必要だ。

@Aがかみ合って初めて技術の高さも意味を成す。

そういう観点からも完璧な「白夜」だが、特に後半、雪が降り出すシーンは忘れられない。
マルチェロ・マストロヤンニとマリア・シェルが、夜の運河にボートを出し、くねくね曲がった水路をゆっくり進み、橋の下で止まる。
マストロヤンニのマリア・シェルへの思いがやっと伝わった…と見えたその瞬間、雪が降ってくる。
ゾクゾクした。まさに映画的エクスタシーだ。

それからラスト前のクライマックスシーンの鮮烈さも一生忘れないだろう。
まず、肩を寄せ合ったマストロヤンニとマリア・シェルが歩くところを横移動でゆっくり追うカメラ。
二人の背景の壁が切れて突然視界が開け、その先に見える小さな橋の上には、マリア・シェルの恋人であるジャン・マレーがいる。一面、雪で真っ白な中、全身黒ずくめのジャン・マレー。
観客の視線は一気にそこに集中する。奥行きが突然、目の前に出現する感じ。
この見せ方が素晴らしい。
幸福の絶頂にいたマストロヤンニが一瞬にして孤独に舞い戻るのも、あそこをワンシーンワンカットに近い長回しで撮っているからこそ出せたんだと思う。
長回しだから凄いんじゃなくて、ドラマの本質を描き出すためには、どんなセットの中、どんな演技を、どんなカメラワークや照明で撮るべきなのか、それを考え抜いてるからこそ凄いのだ。

ヴィスコンティは芸術家と称されるが、むしろ芸能の人、芸能者(もの)だと思う。
ドラマを最高の状態で客に見せるためには何をすればいいのかを徹底的に考え抜いてるという点で。

この映画の唯一の欠点は、なんでマストロヤンニがマリア・シェルにあんなに惹かれるのかが理解できないところ。
この女のキャラクターが腹立つのか、マリア・シェル自身が腹立つのかすでにわけがわからなくなっているのだが、自分にとってはマリア・シェル=むかつく女になっている。

こういうのを深追いするとマズいぞという危機感知センサーが作動するのが普通の男だが、この映画の中のマストロヤンニにはセンサーがついてない感じが良く出ていた。
いるいる、こういう奴。そっち行ったら絶対マズいぞ、っていう方に必ずいく奴。「それマズいぞ」って教えてあげても聞こえないし、聞こえても「邪魔してる」とか逆恨みしそうな感じ。まあ良く言えば、一途ってやつ。

(オイカワ)