面白い映画教えます

勝手にしやがれ

イノベーションとはふりだしに戻ることではないだろうか

ゴダールの「勝手にしやがれ」を観ると、そこには、繊細な表現力とか技術の粋を極めるといった気配はまったく無くて、ただ、シンプルきわまりないストーリーと人物構成、そして行き当たりばったりのように見えるエピソードに対して、なんの装飾も施さずにカメラを向けただけに見える。
ところが衝撃を受ける。

そういえばピストルズの「勝手にしやがれ!!」を聴いたときの衝撃というのも、これに良く似ていた。
ただ単にでかい音を出して、でかい声で叫んでいるだけじゃないか!?
しかし聴けば間違いなく「これはただごとではない」と確信できる。

表現というのは、時間と共にデコレーションが施されていく。
それを進歩や進化とも言う。
だとしたら、一度はりついたデコレーションを剥ぎ取っていき、表現の原初的な形態をむきだしにすることは退化になるのか?
いや、実はそれこそがイノベーションではないか?
アートの世界でイノベーションと呼ばれる事象は、ふりだしに戻ることなのではないだろうか。
それは果物の皮や実を毟り取っていった後に残る種のようなものかもしれない。そういうものを取り戻す行為が、革新的な表現へとつながるのではないか。

ゴダールは、むき出しの出来事や言葉や音を探し、それをただ単に撮ったり再現しただけかもしれない。
でも、実際にそれに気づき、それをやり遂げることは、決して容易なことではないと思う。

って、そんなに単純な話じゃないか・・・

(オイカワ)