面白い映画教えます

家族ゲーム

距離の取り方うまくハマッた

映画における「距離感」には、いろいろなレベルがある。画面上に見える対象との距離感、それから形而上的な物語との距離感。日本映画の70年代と80年代の断層を「距離感」から思考するのは興味深いことかもしれない。

70年代的、80年代的というおおざっぱなカテゴリー分け、そして「距離感無し=70年代」「距離感あり=80年代」という仮説を、とりあえず正当化した上で、当時のことを思い出してみると……

自分が、それまでに無かった80年代的な距離感を初めて感じた日本映画は、森田芳光の『家族ゲーム』だった。あの映画が優れているかどうか、という判断はとりあえずおいておく。当時思ったのは、「これは今までに無かった感性だな」ということだ。「距離感」という言葉が当時は頭に無かったので、「感性」という言葉で代用していたのだが、思い返すと、「感性」というのはイコール「距離感」と言ってさしつかえない。

森田の「距離感」は、物語や登場人物のキャラクターなどを基本的には全く信用していないことからくるもの、と当時思った。これは今でも同じ考えである。で、自分はそれに嫌悪を感じた。自分流の言葉に直して言うと「ハートが無い」と思ったのだ。

しかし20年たって振り返ると、『家族ゲーム』は森田作品の中で、その「距離感」が奇跡的にうまーくハマった唯一の作品だったのではないかと思う。
対象や物語との距離感が何を生み出すかと言えば、「笑い」がある。

当時『家族ゲーム』を見て、いくつかのシーンで笑ったのだが、そこはたぶん今見ても笑えると思う。笑えるというのはすごく重要なことで、その後の森田作品を見て(全部見てるわけでは無いが)1度も笑えたことは無い。その点から考えると『家族ゲーム』は「距離感」がうまくハマった作品と言えるだろう。

森田の「距離感」がその後の映画界に影響を与えたかどうかはよくわからない。しかしTVの世界には影響を与えたと思う。

ちょっと付け加えると、森田芳光と同じような「距離感」の持ち主として、コーエン兄弟をあげておきたい。
自分の中では、この2作家はひとくくりになっている。
「ハートが無い」作家。
異論も多いとは思うが。

(オイカワ)