それぞれ、ワケありな過去を持つ若くない男女のラブストーリー。
舞台はニューヨークの安い感じのカフェ。
アル・パチーノ演じるジョニーは、刑務所から出てきてこの店でコックとして働き始める。そこでウェイトレスをやってるのがミシェル・ファイファー演じるフランキー。ジョニーはフランキーに猛烈にアタックかけるが彼女は冷たい。だがジョニーは全然めげる様子がない。陽気だ。そういうところに少しずつフランキーは惹かれていく。
ジョニーの奮闘のかいあって、2人はやがてつきあい始める。だけど、ジョニーがフランキーにプロポーズすると、フランキーは怒ってジョニーをシャットアウトする。
彼女は過去の男性関係がトラウマになっていて、それが原因で男性不信になっている。男と深い関係にはならないようにずっとしてきた。実はジョニーと付き合うこと自体が非常に勇気のいる行動だったのだ。
なんといっても良かったのは主人公2人の会話。
この作品、もともとは人気舞台劇の映画化だけあって、物語はほとんど2人の働いてるカフェとフランキーの部屋だけで展開する。カタルシスがあるようなダイナミックな展開とかが特にあるわけでもない。フランキーとジョニー、2人の会話を中心にして語っていくスタイルだ。これで会話がつまんなかったらダメな映画にしかならないが、会話が非常にきめ細かくてリアリティがある。
特に共感したのはフランキーとジョニーのベッドシーンの時の会話。
盛り上がって、さあこれからというとき、まずフランキーが尋ねる。
「付けないの?」
「何を?」
「あれ」
「持ってない」
するとフランキーはセックスを拒否する。
実はこれには物語的に深い意味があるのだが、このシーンに代表されるように、物語上すごく重要な部分を変に説明的にならずリアリティある会話で展開する。そういう点が良かった。
ドラマチックな恋愛っていうのは現実ではそうそう無い(自分が知る限り)。実際、夫婦でも恋人でも一緒に時間を過ごす中で一番多いのは、やっぱり会話してる時間だ(自分が知る限り)。
しかし映画の中の男女の会話にウソくささを感じるような時がよくある。すると白ける。
いくら映画とはいっても年がら年中、夢みたいなありえねものばっかり見るのもいい加減疲れるな、たまには絵空事じゃないものを見てみたいなあと思うときがある。
そういうとき、これを見るとホッとする。
ミシェル・ファイファー、良かった。歳相応の疲れみたいなもんをちゃんとにじみ出させつつ、男に自分の年齢を打ち明けるとき何度もサバ読むあたりは可愛くてね。
アル・パチーノは非常にクサい芝居を見せてくれる。でも悪くない。
かなり好きなんですよ。
実はわりと最近、中野で暮らしてたI嬢に会った時に薦められまして。ビデオで観たんです。
あの映画のミシェル・ファイファー、いいですよね。
私はアル・パチーノもわりとよかったんですよ。何か同じ店で働いてる女とセックスしたら、チンコ勃たなかったり。ミシェル・ファイファーに惚れてやたら言い寄ったりとか。何か私が持ってたそれまでのアル・パチーノとずいぶんイメージが違ってて。何かいまだに私の場合、『ゴッドファーザー』とかのイメージしかなかったもんで・・・。まあ、いかにそれ以降の彼の出てる映画を観てないかってことなんですが。
それにしても、あの映画の脚本は、本当によかったですねえ。演出もよかった。I嬢に「大人の恋愛映画よ、あれ」と言われて観たんですが、本当に大人の物語、映画でしたねえ。
シナリオが実にきめ細かく二人の人物像と関係と周囲の人物を描いてるんですね。あれなら、日本でもできないことないはずなんですけどねえ。いつかああいう大人(中年)の恋愛映画を撮ってみたいですよ。あんなに上手くはできないでしょうけれど。
『恋のためらい フランキーとジョニー』、大好きな一本です。
あと、だいぶ前の映画ですが、『さよならゲーム』と『ぼくの美しい人だから』のスーザン・サランドンも私、かなり好きなんです。<この二本の映画自体もかなり好きなんですが。中年女路線では。
アメリカ映画って、ああいう中年女とか中年の恋愛映画をちゃんと作るところ、やっぱり凄いですよね。
今の日本映画だと、なかなか大体、企画自体成立しないでしょうからねえ。成立しても吉永小百合主演とかになっちゃうしなあ。