機能と官能… 決して対義語ではない二つの言葉によって、作品からなんとなく受ける印象を、非常に大ざっぱに分けてみる。
たとえば前者の代表はアルフレッド・ヒッチコック、後者はジャン・ルノワールだろう。
もちろん、機能的でありながら官能に達したり、官能的なのだが機能をも獲得している場合もあり、そういう時、これはマスターピースだと確信する。
ヒッチコックなら「めまい」、ルノワールなら「ゲームの規則」がそうだろう。
機能か官能、どちらかのみに殉じたように思える映画、これは意外に面白くなかったりする。
両方を兼ね備えた作品がやはり圧倒的に面白いわけで、ヒッチコック、ルノワールといったマエストロ以降の作家としては、70年代のベルナルド・ベルトルッチが思い浮かぶ(特に「暗殺のオペラ」) 。
では、機能&官能、どちらにも殉じることができず逡巡しているように見える映画はどうか。
面白いとは言えない…確かに面白いとは言えないのだが、やっかいなことにこれがどうにもこうにも魅力的な映画になる場合があるのだ。
ヴィム・ヴェンダースの「ことの次第」。
機能と官能のはざまで葛藤を続ける様が極めて魅力的な作品だ。
機能的に語ろうと思っていたが、官能に押し流されてしまった。
官能に向け飛び込むつもりが、機能性への憧れから腰が引けてしまった。
どちらかは判らない。が、どちらにしても、「ことの次第」からは、機能にも官能にも殉じることができない者の、恥の意識や後悔にも似た気配が感じられる。
この映画にしみついた寡黙さは、そこから来ているような気がする。
この寡黙さというか、ぶっきらぼうさにどうしようもなく魅かれる。