面白い映画教えます

子連れ狼 三途の川の乳母車

過剰でありながら寡黙(説明不足)

その筋では世界的な1972年勝プロ制作の三隅研次作品。傑作と呼ぶのを思わず躊躇してしまうような、異様な作品(だけど傑作)。

スプラッタというよりグランギニョル的なその殺人ショーっぷりは、もちろん素晴らしく異様でワクワクする。だが、何よりも異様だったのはラストシーン。

若山富三郎=拝一刀を最後まで狙う松尾嘉代=柳生鞘香。
海岸の林の中だ。
拝一刀と大五郎の背後から小刀を構える鞘香。
振り向くことなくそれを察した拝一刀は、ゆっくりと刀を抜いて、振り返らずに下段の構え。太陽の光を反射する刀。パーカッション主体の音楽がボリュームアップする。
刀を舐めるようパンニングするカメラ。手前の拝一刀、背後の鞘香を縦の構図で捉えると、望遠レンズ効果で鞘香の剣と拝一刀の剣が交差する様はまるで十字架のよう。十字の交錯した場所に太陽の光が反射する。
そして、その次の瞬間、鞘香は、ハッと我に返ったような顔で、小刀を下ろす。
拝一刀は最後まで振り返ることなく、刀をしまい、乳母車をゆっくりと押しながら去る。
そこで「終」マーク。

柳生鞘香に拝一刀は殺せない。そのことに鞘香自身気づいているし、拝一刀も判っている。結局、鞘香は拝一刀に何もできないまま、その後姿を見送るだけだ。
そういうシーンなのだろうが、その描写はあまりにも難解なのだ。
「意味がわからない」そう責められても弁解のしようがないわかりにくさ。
できごとが鮮明な輪郭に収まらないのである。
過剰でありながら不気味なまでに寡黙(説明不足)。

このラストの異様さこそが70年代的な表現の最先端であり、これは、70年代映画でしか体験し得ない表現だと考える。
それは、具体的なアプローチの仕方は全く違うけれど、ロバート・アルトマンの「ロング・グッドバイ」の“海のシーン”が優れて70年代的な表現であるのと同じような意味で。

(オイカワ)