感動の種類としては、その、まあ、人間について考えさせられたというのが一番大きいですねえ。口幅ったい言い方ですが。
マルコ・フェレーリの、人間を下半身から捉えようとする姿勢。「ありきたりな狂気の物語」を見たときにも感じたことなんですが、その姿勢に一種、異様なまでの感動を覚えました。つまり、人間の本能や根源的な部分にスポットライトを当てて撮る人なんですよね、フェレーリは。
以前、人に薦めて思いっきり嫌がられたことあったので、あんまり薦めないことにしてます。生理的に受け付けない人がいるのはわかります。ただ、そこをちょっとガマンして、無心に見てもらえば、必ず何かを感じ取れる作品だと思います。
全面拒絶されがちなんですが、フェレーリ観て思うのはこの人、実は純真なんじゃないかということです。ひねくれていないんですよ。人間不信から来るような底意地の悪さみたいなものは無い。だから、この「最後の晩餐」、見終わった後に抱くのは、なんともいえない寂寥感というか、哀しみというか、そういった種類の感情です。
いやー最高でしたねえ〜。これはスゴイです。
マルチェロ・マストロヤンニ、ミシェル・ピッコリ、フィリップ・ノワレ(わりと最近(でもないか・・)だと『ニュー・シネマ・パラダイス』の映写技師のオッサンの人)、ウーゴ・トニャッツィ(この人、誰かと思ったら『Mr.レディ Mr.マダム』の人!!) の4人が(しかも全員、本名(かどうかわからんのですが)のままで出てる)死ぬために別荘にこもって、最高の料理を食って食いまくり、女とやりまくり、死んでいくという話なんですが、私は退廃的(そもそも退廃的って何なんでしょうかねえ・・・私にはよくわからないのですが)だとはまったく思いませんでしたし、まったく不快ではありませんでした。
そして陰惨だともまったく思いませんでした。むしろ生きる活力がますます湧いてきまして、『最後の晩餐』を観た後、メチャメチャ食欲湧いて、メシをむさぼり食ってしまいましたよ(笑)。
これはマジで大傑作じゃないですかねえ。
もういくとこまでいっちゃってますよね。
死ぬために食って食いまくる。女とやりまくる。屁を出しまくり、クソをしまくり、クソまみれになり、それでも食って、やがて死ぬ。
またその死に方が笑えるんですよねえ。一人一人の。
特にマルチェロ・マストロヤンニとミシェル・ピッコリの死に方が最高に笑えるんです。
オッパイ・プリンも笑いましたねえ。
でも、最後は感動するんですね。
私は「よし、死ぬまで生きるぞ!!食って飲んでやりまくって屁もゲップもウンコもしまくって死ぬんだ!!よーしそうやって死ぬまで、生きるぞ!!オレの生き方は間違ってないぞ!!」なんて勇気と活力が湧いてきたんですが(笑)。マルコ・フェレーリが描きたかったのは、そういうことじゃないのかもしれませんが・・・。
打ちのめされるというより、この『最後の晩餐』は、生きる活力が湧いてくる、本当の意味で「元気の出る映画」でした。私には(笑)。
私は、頭オカシイんですかねえ・・・(笑)?