面白い映画教えます

浮雲

マスターピース!

これはもう単純に傑作。

自分が年齢を重ねるにつれてますますこの映画の凄さがわかる、何度見ても、前に見たとき以上に感動する。そういう意味で、本当にマスターピースだ。

凄いのは、登場人物たちを見つめる視線の厳しさ。同情や甘さが無い。日本的だと思われがちな成瀬だが、こういう厳しい視線って日本人には無いでしょう。そして、それがシナリオ、演技、撮影、演出、あらゆる面で高度に徹底されてる作品だ。だからこそ説得力がある。全てにおいて傑出した映画だと思う。

それから、やはりなんといっても主演二人、高峰秀子と森雅之の素晴らしさ。
高峰秀子は、こういうどっかですねた感じっていうか、道はずしちゃった疲れた感じの女を演じさせるとホントうまい。結局、彼女はああいう風にしか生きられなかったんだろうな、ということが実感できる。森雅之演じる男は、まったくもってどうしようもない男なんだけど、女がこいつから離れられないんだろうなという雰囲気が、むせかえるほどよく出ていた。凄い色気だと思いましたね、森雅之。

ろくでもない男に引っかかって離れられないバカな女の話って言ったらそれまでなんだけど、そういう卑近な話からこれほどまでに神話的な感じの悲劇にするのが凄い。

最後、島に着いて、タンカで運ばれていくシーンや、豪雨が降るシーン。ドキュメンタリー映画のような画質が悲痛さに輪をかける。 そして、最後のあの高峰秀子のアップ。ランプの灯に照らされたアップの美しさ。世界映画史上に残るアップだ。

(オイカワ)

生涯のベスト1(かも)

オイカワさんが「日本映画史上と言うよりむしろ、世界映画史上の傑作と呼ぶにふさわしい作品」と書いていたこの映画、私も年末に某チャンネルで放送されてたのを観まして。

もう5、6回以上は観てるんですが、観るたびに打ちのめされますねえ。
そして何度観ても、泣いてしまいます。
特に最後。
あれはめったに映画を観て泣いたりしない、冷めた私でも、思わずこみ上げ、涙が出てしまいますねえ・・・。

これはやはり私の生涯のベスト1の映画かもしれません。

(おもてとしひこ)

男のダークサイド全てを百分の一圧縮して瞬間冷凍

見どころ、語りどころが多い「浮雲」だが、今回は森雅之演じる富岡という男について考えたいと思う。

富岡のエゴイズム、これが凄い。
彼にとって、女は“都合のいいものであるべき”それ以外は何も無い。
しかし、実際はそんなに“都合のいいもの”であるはずもない。
高峰秀子扮する幸田ゆき子は地獄の果てまでついてくる勢いである。
で、“都合がいいわけがない”という局面に、どう対処するかで男の器量が判ってしまうのだが、富岡の場合、その対処の仕方がなんとも冷たく、みっともない。つまり男の器量なし。

口元にうっすら卑屈な笑みを浮かべて皮肉を言ったりする。
追いかけてくるゆき子に「君も伊庭(山形勲演じる胡散臭い宗教をやってる男)のところにいた方が幸せじゃないか」などとのたまう。
そのくせ、その伊庭に囲われたゆき子が金を持ってると知っていて、のこのこ彼女のもとを訪れ金の無心をする。しかも「金を貸してくれ」となかなか自分の口からは言わない。暗い顔してやってきて、自分が今いかに大変な状況にあるか、ポツポツと語ったりする。
冷静に見ればカッコ悪い男だが、本人は“俺ってカッコいいオーラ”を常に発していたいし、実際そういうポーズは絶対に崩さない。

富岡の思考回路や行動パターンまとめると、

@女とくっついてやるのはまあ当然

Aその後のことは、基本的にはやりたくなった時会うのがベスト、さらに金品をゲットできればなお良し

Bそれで相手がマジになったらのらりくらりとかわせば何とかなる

Cなかなか離れたがらなくてもハッキリ拒否はせず、まず俺も大変なんだという雰囲気をかもし出す

D決断をつきつけられたら、とりあえず話は聞くが責任を持たなければいけないような答えは絶対に言わない

Eそれでも、どうにもならなくなったら逃げる

F逃げても追いかけてきたらBかCに戻る

男の鏡である(鑑じゃない)。つまり、男にとっては、鏡をつきつけられているような存在ということ。富岡を見て1秒たりともギクッとしなかった、我が身を振り返る瞬間が皆無だったという男性がいたら、その人は私に言ってもらいたい。じっくりと語り合おうじゃありませんか。

悪役にしろ、ダーティイメージの強い登場人物にしろ、ここまで身もふたもない卑小さ、冷酷さ、身勝手さを持った人間というのを映画はいまだ描いていない。「浮雲」を除けば。

男のダークサイド全てを百分の一圧縮して瞬間冷凍したようなこの男を作り上げた水木洋子脚本の凄まじさ。
そして、それを何の手加減も無くスクリーンに定着させた成瀬演出の凄まじさ。
「いやあここまで夢も希望も無いキャラは人さまにはお見せできませんよ、特に男性客には。それに私も男だし、ちょっと気分害しましたから若干マイルドにしときます」とは全く思わなかったであろう成瀬の恐ろしさ。

ゆき子が富岡宅を訪れ、彼の妻に初めて会うシーンを思い出してほしい。
中北千枝子演じる妻の姿。これには慄然とさせられた。
“女”のカケラもないような、女のヌケガラのようなその見た目。
今はどうだか知らないが、かつてこの女は間違いなく富岡と肉体関係があり、そして共に生活してきた女である。
それがこんなにも、女のヌケガラのようになっている。富岡は妻の“女”の部分を吸い取って生き伸びてきたに違いない。
そして、妻に全く“女”を注入しなかったに違いない。
その姿は、ゆき子にとっても鏡のはずである。
富岡使用後はこんな風になってしまうのだ。ゆき子は、その時それに気づくべきだった。

涙無しには見れないあのラスト。死の床に横たわるゆき子のアップ。そして、そこにインサートされる、富岡と出合った頃の若き日のゆき子。
白いワンピースを着たその生き生きとした表情。これを富岡の回想ショットと思ってはいけない。
これは、富岡使用前、使用後の女の姿を並列したショットだ。
成瀬のなんという残酷さ。

究極のアンチヒーロー、富岡。ラストの彼の嗚咽を懺悔と解釈してはいけない。
この男は映画が終わったあとも、女の屍を踏み台にのうのうと生き恥をさらし続けていくであろう。

その証拠を教えよう。
彼とかかわった女は皆死んでいる。
中北千枝子演じる妻、岡田茉莉子演じたアバンチュールの相手であるおせい、そして高峰秀子=ゆき子。

(オイカワ)

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