日本というこの貧しい国から、遠く数万マイルも離れて、“生活”という無粋な言葉とは無縁の場所に位置する、
「狂った果実」とは “謎の美女” のことだったのですかね?
彼女の本性は、外国人の夫を持つ、二十歳の、しかも、男あしらいを十分に心得た人妻だったのです。
“謎の美女”が、“奔放で弟想いの兄・石原裕次郎”に言うことにゃ。
「浮気はいくつかはあったけど、“真面目でウブな弟・津川雅彦”とは真剣なの」
「結婚する前にするべきことを、“真面目でウブな弟・津川”としているだけなのよ」との見解をのたまわります。1956年当時の道徳観念で考えると、彼女の感覚はやっぱり、
“衝撃的” と評されたこの映画のラストシーンの行動起因は、「東海道四谷怪談」の古典作品にも見られる、「迫害」に対する「うらみ・つらみ」という非常に日本的な感情によってもたされていたのでした。
「湘南」という別天地の住人を登場人物に起用しても、1956年当時、新進気鋭の作家を抜擢してさえも、容易に「日本」という呪縛から解放されることは無かったわけです。そうです。この映画は確かに、日本国・神奈川県という非常にドメスティックな環境で、しょぼしょぼと終わろうとしているのです。
“真面目でウブな弟”は「迫害」なんて受けておらず、もっと軽い「疎外」程度ではありますが、“ダメージを受けた側が執拗に、そして寡黙に加害者を追い詰め、死をもって復讐を果たす”というお話の骨子を考えると、